大きなガジュマルの木がゆきむらの近くにあった。近くにいては全体像を見ることはできない。私は遠くに離れて最後は浜辺に下りてシャッターを切った。こんな意味深な木があったら、奄美の妖怪「けんむん」伝説が生まれてくるのも仕方がないと思った。
ガジュマルの木が隠すように琉球墓があった。加計呂麻に琉球墓があるのはめずらしいことだ。
大屯神社は平資盛一族を祭った神社といわれている。ここで毎年旧暦9月9日に行なわれる諸鈍シバヤは国の重要無形民俗文化財に指定されている。
大屯神社は後世の人が設計したものであろうがいかにも平家の神社というイメージが漂っている。11月初旬というのに、せみがやかましいほどに鳴いていた。
私たちは奄美大島へ戻る時間を迎えていた。瀬相港に着いたフェリーはクルマだけを運ぶ私設フェリーであった。人はクルマの中に居て船が古仁屋に到着するのを待つ仕組みだ。その代わり、人の運搬賃は取らない。
この港は島尾敏雄が加計呂麻島に海軍少尉として赴任したところである。そして加計呂麻島を離れるときにも使った港である。私たちも同じようにして加計呂麻島に渡り加計呂麻島を離れる。 さようなら加計呂麻よ。