予路島に上陸してからもう1時間半が過ぎていた。船長は釣りを止めて私たちを港で待っているに違いない。田町さんは我々を上手に港に誘導していた。
「あそこに見えるのが予路のコンビニです。日用品は生協の個配があるのでそれで大丈夫ですが、台風のときや冬は風が強くて船が出ないときが多く、どの家庭にも冷凍庫が備えられています。コンビニは、冷凍食品があっていざというときの頼りになるのです」
ちょうどお客さんが入っていった。私も買い物をした。お茶が120円であった。東京と同じ価格であった。
ここが予路の銀座四丁目。交差点を直進し右折すれば港に至る。左に行けば郵便局。それにしても百余名の集落で何故に郵便局への道しるべが出ているのか。方向感覚を失うような炎天下があるのか、あるいは冬の嵐があるのか。島の人にとっては方向を失うほどに大きな交差点なのか。あるいは交差点の街角風景が酷似しているのか。私は目の前に立っている看板を見ながら思いを巡らせた。郵便局に聞かない限り、正答はなかった。
しばらく歩くとこんな風景に出会った。砂浜に生えるあだんである。砂浜は海と陸の中間にあって海の一部であり、陸の一部でもある。砂浜は波による陸地の浸食を防ぎ、同時に陸から雨水による泥の流入を防いでいる。その砂浜を守っているのがあだんのような砂地に生えている植物である。山深いという言葉に倣えば、なんと砂深い風景であろうか。昔はこんなにあだんが密集して砂浜を守っていたわけである。だから地球という自然が砂浜を守るように設計したわけであり、砂浜は環境の一部であり海底から山頂まで一直線でつながるためにも、守らなければならない存在なのである。砂浜を壊して堤防を築いたこの国の役人は、次に波の勢いを消して堤防を守るためにテトラポットを頭高く海に沈めた。この国はこうして地球の恩恵である美しい砂浜を破壊した。
港には海上タクシーが待っていた。泰さんは先に乗船して私に手を差し伸べた。停泊場所が正規の位置ではなかったために段差があったのである。
中央右側の砂浜が見える小さな島は無人島のハミャ島。右後方に見える大きな島が請島。左の岬が予路島。請島と与路島の間に、遠くかなたに見えるのが加計呂麻島である。田町さんは来年、請百合(うけゆり)が咲く頃にまたいらっしゃいと言った。
与路島よ・・・・・・。このあとの言葉を私はいまだに見つけられないでいる。予路を語るには加計呂麻島と、きっと影響を受けているはずの徳之島の文化を知らなければならない。なによりも予路に住む人々と親しくならなければならない。わずか1時間半の島巡りで、何が分かったというのか。何も分かってはいない。私はもう一度予路島よと口に出した。けれどもやはり・・・・・次の言葉は、でなかった。