スキーが好きな人は、冬が待ちどうしい。冬スポーツをやらない人は早く春になればよいと願う。冬タイヤを持たない私は、冬になると一気に活動が鈍る。そんなときにディーラーから冬タイヤに交換をして夏タイヤは預かりますと言ってきた。冬タイヤは4輪で25万円ほどという。
チャンス到来と思ったがよく聴くと夏タイヤは倉庫業者に預けて一シーズン保管するらしい。東京では冬の間中、冬タイヤを履くことはない。雪のある場所に行くときだけ冬タイヤを履いて、普段は夏タイヤでよいのだ。ディーラーの提案は東京の人にマッチした話ではない。
今年はことのほか寒さが増していて、どこが地球温暖化なのかと思うほどだ。軽井沢の知友からパウダースノーが降って、デッキに溜まった雪を箒で掃いているとメールが届いた。軽井沢は粉のようにさらさら乾いた雪が降るので箒で掃けるのだ。
駅まで迎えにいくから来ませんかと誘っていただけるのだが、日中でも氷点下7度。夜明け方には氷点下10度を超えているという、まるで冷凍庫の中のようなところに新幹線に乗って行く気が起こらない。軽井沢固有の美しい自然に触れ合うと、移住したいと心は、はやるけれど、住まいもなくクルマもなく、からだ一つで氷漬けになっている街に訪れる気がしない。
吹き晒しの軽井沢駅ホームに降りるあの瞬間の凍るような寒さを思い出してしまう。暖房が行き届いた列車から息なし極寒後に降り立つときに体験する温度差。それから氷漬けのホームを歩いて見るからに寒々しい階段を上り、がらんどうの、凍った空気に包まれている改札口を出て北口までコンコースを歩く。この間はすべて冷凍庫の中で起こる時空間である。そんな氷の世界に一人降り立ち、もしも迎えるクルマもなかったとしたら私は本州で一番寒い軽井沢の冬に当てもなく一人立ち尽くすことになる。
軽井沢は冬が一番という人は、薪ストーブの燃える炎を見ながらダイヤモンドダストを眺めているからであって、軽井沢ホームレスである私には氷点下二桁の世界は過酷過ぎるというイメージが先行してしまうのである。
私はきっと横着でなまった身体と心を持っているのだと思う。自宅から暖かい環境で寒冷地に向かって、到着しても暖かい環境に身を置きたいだけのことである。軽井沢が好きなら凍てつく冬も好きでなければ軽井沢が好きとはいえないのだ。蝶が好きなら毛虫だって好きでなければ困るのだ。
クルマの中は暖かいし、レストランも暖かいし、薪ストーブを眺めながら食べる食事は至極。寒さなんてどこにも存在しない。駅からまっすぐトンボの湯に行って温まればもう冬の軽井沢を満喫できると知友は、私の心を読み透かして図星の言葉を並べて私を誘う。
近所でタイヤの脱着をしてくれて、しかもタイヤをその場で保管してくれるところがないかを探してみようと思う。冬に束縛されてしまうことはなんとも時間の無駄なことだ。そんな都合の良いサービスをしてくれるところが見当たらなくても今年もいつもと同じようにすぐに桜のころを迎える。そうしたらまたハンドルを握って軽井沢へ行こうなどと横着を決め込んでいる。冬タイヤという飛び道具を持たないばかりに、私は冬が待ちどうしい人々の中には、入らないようだと自らを正当化してずぼらを決め込んでいるのである。