たった一週間前を語るに昨年という言葉を使わなければならない。時間は円周を回るものではなく直線であるとかたくなに信じている私は、一週間前に未来の直線に向かっていくつかの仕事をした。
一つは衣類の整理であった。私は必要となると衣類をまとめ買いをする習性があっていまだに続けている。すると新しい衣類と比べて古い衣類は当然古くなる。そこで着用しなくなる。しかし十分着用できるレベルであるから捨てるに忍びなくタンスの肥やし化していく。
その衣料は私以外に価値はなく、その私さえも着ないのだから価値はどこにもない。こうした衣類は捨てるべきと決断し、全部捨てた。ついでに私には価値があったとしても他人の目には価値がなく、いま使用していないモノはすべて捨てた。また使う時があるかもしれないと迷ったモノはすべて捨てた。おかげできれいさっぱりした。
すると、私の部屋に掲げた掛け軸も古くなっていることに気付いた。清水寺の管長が書いた書であるがこれも捨てた。しかし書のない床の間はいささか寂しく思えたので、ネットオークションを開いたところ天竜寺管長であった関牧翁(せき・ぼくおう)老師の「堂々物外心」と書いた掛け軸が目に留まった。
物外(ぶつがい)とは、物欲の外にあるという意味である。
関牧翁老師は慶応大学医学部を中途退学して仏門に入った人である。群馬県下仁田の出身でいつ見ても風呂上りのような透明感ある端正な顔立ちはテレビ映りもよく、禅の普及に力を注いだ人である。この掛け軸を落札した。オークションでの私の評価が良いせいもあるが、なんとメールを送った翌日には掛け軸が届いて正月の部屋を飾った。一般に販売されている関牧翁老師の掛け軸価格と比して92.5%引きの捨て値どころかタダのような破格で手に入れた。ネットオークションだからコンペにならないと値段は上げることができない。売主は骨董美術商であった。同じものがこの店のHPに掲載されていてしかも価格までついていた。92.5%引きとは落札した価格とHPに記載した価格の差額である。
関牧翁老師は、「生きてるときに、死のうと考えるから苦しむのです、死ぬときに生きようと考えるから苦しむのです。だから人間は生きているときは生きることに専念し、死ぬときは一生懸命に死ねばよいのです」といっていたことを思い出した。
私は動体視力が落ちていることと、終日パソコン画面を見すぎているせいか、ドライアイがひどく、乱視が進んでいるせいもあって、視力が衰えていることは確かで、安全運転を心がけるならクルマの運転を楽しめる期間は75歳くらいまでであろうと考えていたので、それでは乗れるときに乗りたいクルマに乗り換えようと迷わず実行した。新しいクルマはこれまで乗っていたクルマと比べると車幅で6.5センチも狭くコンパクトになった。エンジンの馬力は旧333馬力が新303馬力と1割程度小さくなった。しかし車体が小さくなった分だけ早くなった。これはまぎれもなくスポーツカーであった。わずかな手首のスナップだけでクルマのレーンを変えることができた。このクルマもディーラー側が年末決算を迎えたこともあって私は一切の価格交渉はしなかったが親しい営業担当者が社内で積極的に働きかけをしてくれて破格で手に入れた。
空気が乾燥しているせいか風邪が治らずにいた年末に、私はこれからを直線的に生きるためにこうしていくつかの仕事をした。そうして2010年を迎えた。堂々物外心の文字は私のこれからの生き方を示してくれるように私は感じている。