ちょうど6ヶ月間の旅であったと言った。スコッチ・シングルモルトウイスキーの蒸留所が見たくて日本をあとにした。2.5ヶ月はスコットランド・アイルランドにいた。それからイングランドに戻ってパブを歩いた。そしてベルギーからドイツへ入った。ここまでは加治さんからの報告があった。
それから加治さんはイタリアに入りキャンティワインのふるさとを訪ねた。次はポルトガルに飛んでポルトワインの畑を見てスペインに入った。夏だというのに湿度はなく空はどこまでも青かったと加治さんは語った。
加治さんから日本に戻りましたとメールが入った。そしてすぐにわが事務所に来てくれた。
スペインではアンダルシア地方やサンルガールバラメータ、アランダを訪問しワインとシェリーの醸造元に訪問した。
それからフランスに入り、ボルドー、ブルゴーニュ、ロワール、アルザスを回り、またブルゴーニューに戻って9月29日に帰国した。
行く前と、行ったあとと、自分の中は変わったかと私は問うた。加治さんは変わっていないといった。禅問答の「柳緑花紅」と同じである。あこがれの地は柳は緑で花は紅であるといわれていた。その地に訪問してきた旅人に問うた。どうでありましたかと。旅人は柳は緑で花は紅であったと答えた。中国の故事に基づく。しかし行く前に聞いていた柳緑花紅と、実際に訪問しての柳緑花紅とでは雲泥の差がある。
旨いワインはどうしてできるのかと私は問うた。加治さんは光と、土壌と、人の愛情ですと答えた。仲田さんの天地人とはそこから生まれたのですねと私は感想を述べた。仲田さんにも会ってきましたと加治さんは返事をした。
仲田さんとはワインを知っている人ならかなり有名な人だ。仲田さんはフランスに住み、いろいろな産地からブドウジュースを買って自分で産地のワインを創る。この人のワインラベルには天地人と日本語で書いてある。上野桜木町にフランス田舎料理の店があって仲田さんはここで働いていたことがある。私は仲田さんの名前をこの店の親父から聴いていた。
私たちはオーブンクリマのイザベルとピノノアールロス・アラモスキュヴェを空けた。加治さんからたくさんの旅写真データを貰った。加治さんは来週藤村さんに会って帰国の報告をすると言った。普通は一本も飲むと翌朝に残るものだが今回はまったく残らなかった。
加治さんは大人であった。私は多様性を認めますと言った。同じタイプの人が集まるのはいやだと言った。
それからしばらくして、はじめて会ったときに私をこわいと思ったと言った。ワインに詳しいだけではなく心の中の先の先まで見られてしまうと思ったと吐露した。店でやっている人も気持ちのよいところに行きたい。こわいと決めずに仲良くなれるかもしれないと思って何度も私のテーブルに足を運んだと言った。次第にはじめの印象と違うと思うようになったと言った。そしていまではかけがえのない人になったと言った。人は分かり合えるものですねと加治さんは笑った。
加治さんが私のことをこわいと思ったのは単純に歳の違いだけだ。加治さんは私の次女と1歳違いだもの。親と子の年齢差がある。親父が怖いのは当然だ。生きている年数が違うもの。
イザベルの酔いもあってか私は加治さんが訪ねてきてくれたことをうれしく感じ入り、しみじみと人間は関係性の動物だと思った。事実そうであった。私は子供と同じ歳の青年と親しくなって、彼からワインを教わり、愉しいひと時を過ごすことができている。加治さんは私に歩み寄った。私はどうだったんだろう。藤村さんの店に行くたびに、この笑顔で親しく歩み寄ってきたから次第に距離が縮まり関係が深まっていったのだろうと思う。そのうち、加治さんは私が好きなオーボンクリマをマイワインとして用意してくれた。だからといって私はなじみの店であるかのように振舞わず、他の顧客に気を配りながら「いつものワインでいいですか」と言って出されるオーボンクリマを静かに飲んでいた。
こうして時間をかけて親しくなったからこそ、加治さんは6ヶ月に渡る旅の写真を送ってくれた。そして帰国するとすぐに顔を見せてくれた次第である。