モノを創る仕事は根を詰めるからどうしても重箱の隅を爪楊枝で突くような精神状態になる。集中してしまえば没頭し、脳は切り替えができなくなる。そこで単行本の執筆は週末に限定しているわけだが物語の構想は電車に乗っていても頭から離れない。座席に座るとすぐにメモを書き出し、気が付いたら一駅乗り越していたなんていうお粗末な出来事が発生している。
カオスの中から新しい生命が誕生するように、時代が変化しても原理原則に根ざすものはなくならない。私は原理原則にだけ忠実であり、根を持たない花を追いかけなかった。
いまは花だらけである。「ツイッターはもう遅い。これからはフェースブックだ。フェースブックは革命を起こした」。
メディアは常に新しいモノを追いかけ、文化人がその呼びかけに応えている。私の知り合いの何人かは、そのうちの一人は出版社に勤務していたのだが、ツイッターが出るとツイッターをはじめ、フェースブックができるとフェースブックを絶賛し、電子書籍がでると自分で蔵書をばらして電子書籍化して本がなくなったのでスペースが広くなったと悦んでいる。
睡眠時間以外の大部分を仮想空間につぎ込み、人生を棒に振っている難民が続出している。彼らの世界はPCの中にあり、リアルの世界に世界観はない。
こうした生き方にのめり込ませてしまったものは「時代」である。私も第一線で働いているからリアルもバーチャルも仕事に取り込み対応している。しかし原理原則を忘れたことはない。
私は原理原則を自然から学んでいる。人間が自然を畏敬している間は生物としての原理原則から離れることはない。
人生の原理原則とは出会いと別れである。出会うことと分かれることはセットで動いている。人生を旅に置き換えるなら、出会いと別れこそが自分のシナリオに彩を添える唯一の存在である。私はこのことを旅の寄り道と呼んでいる。
私にはいまだにたくさんの出会いがある。私がこれまで考えてきたことをたくさんの人たちが形にしようと懸命に動いている。
私の旅はまだ終わらない。