都バスの降車口に高校生が集まり、かばんを床に置きたむろする。両側に立つから歩ける部分は肩幅もなくなり、おまけにかばんが通路をふさいで降りる人は困難になる。
時には出入り口をふさぐなと声を荒げる人もいるけれど、この傾向は減らない。なぜここにたむろするかといえば、居心地がいいからである。そして彼らの公衆道徳心より根深いところにある脳の本能が居心地のよさを求めているからである。
自分とは脳のことである。脳が自分の正体である。自分に克つとは脳に克つということである。脳に克つ自分もまた脳の働きだから、いずれにしても脳から人間は離れることは出来ない。
人間が脳を育てるには他人の脳の意見を聴かなければいけない。それも数百年間、いや、数千年間、風雪に晒されて無駄なものを一切省いた、今でも生き残って語り継がれているいる他人の脳が残した考えを学ぶことが大事になってくる。それと自分とを比較することで、自分の脳は少しずつ変容を遂げていく。
脳は居心地のよさを求めるから、常に居心地の悪さを恐れて都合が悪いことを排除する。その排除が時には努力になるが時に迎合になる。
人間の脳をだますことは簡単だ。もう一つの知りたいと思う脳の働きを利用すればよい。かつてシベリアに抑留された人たちの多くは共産主義に洗脳教育を受けた。実際に抑留した人の話では、照明のない雑居部屋に入れられ、一箇所だけ指で押すと窓が開く場所がある。そこから光が入るのでみな、そこに立って指で蓋を押す。するとそこには日本語で共産主義のすばらしさが文と絵で書いてある。この文章は毎日変わる。こうした環境を与えるだけで人間の脳は変化を起こす。2週間ほど経つと教室で共産主義のすばらしさを教えて、豊かな食事とベッドを与える。これで脳に蓄積されたこれまでの思想を洗い流すことが出来る。以上が実際に体験した人の実話である。
人間が今は苦しくても未来に夢と希望があれば今を強く生きられるのは脳の仕業だ。脳は常に生きようとするからだ。血糖値を上げるホルモンは三つあるが、血糖値を下げるホルモンは一つしかない。人間は何があっても前に進んでいかなければならないからだ。人間はいつでもこれからだと思えるのは脳の働きだ。脳は自分自身を守って子孫を作らなければならないからだ。
人間が自分の脳を育てるには知を与え続けることしかない。それも脳の働きによるものだが、人間はたくさんの経験をして自分の脳が正しいのではなく、いろいろの脳の意見が存在していることを教えることによって、自分の脳は成長をしていく。だから何を学び、どのような経験をするのか、経験を生かせるのか経験に飲み込まれてしまうのかで 成長の仕方が決まっていく。
自分とは何かを考えることは自らを哲学するようなことだからとても大事なことだ。自分とは脳だから脳に餌を与えながら脳をコントロールすることがもっと大事だ。そのためには本物を見る、よいものを見る。旨いものを知ることだ。よいものは脳に対して知のご馳走である。
わかりやすく言えば脳に対する教育が大事ということになる。受験のための教育ではなく、体験し、考え、多くの意見を吸収し、自分に最適な考えを見出す。このことを愚直にやり続けること以外に人間の脳は教育できないということだ。
考えることで自分が変容を遂げることがわかるれば、脳はとてもうれしい。そのうれしさを、人の歓びによって実現できるように昇華すれば、三方良しにつながる。その歓びが何よりのことなんだと脳が学べば、脳は本当の自分自身が求めている姿に変容を遂げていくのである。