気がついたら23時を回っていた。昼食・夕食抜きのままで仕事に没頭していた。疲労がどっとでてきて、私はあわてて仕事を仕舞った。家に帰ると大きな梅の実が二袋ダイニングテーブルにあった。熟した実をかじってそれから午前0時の夕食をとった。
思えば今年は、執筆に追われ鎌倉の黄梅に春を感じることもなく、大震災もあって桜を愛でることもなく、新緑の精気を浴びることもなく過ごした。朝、庭に出てみると、もう木々は深緑で真夏の様相である。今年の梅の実は収穫が少ない。けれどもその分だけ熟れた実が大きい。そんなことも梅の実に教えてもらわないと気づかない。季節の移ろいを感じることもなく、忙しいと言う名の時間に追われて過ごしている自分が恥ずかしいと、ふと思う。
そんな時もあるんだ。自分で撒いた種だから、自分で育てなければ誰も育てない。こういい聞かせて、いま仕事に没頭している。ところがまたも今日、新しい仕事の種を撒いてしまった。
そんな私に季節の移ろいを知らせるメールが入った。今年は一度も軽井沢に来ていないんじゃないですかってメールだ。
そうです。一度もです。渋滞する道路でじっと待っているのが段々いやになってと回答をした。
するともう1000円高速は終わりましたよ。軽井沢はいちばんいい時ですよ。季節は待ってくれませんよと追いかけるようにメールが来た。
そうなんだ。私は季節は待ってくれないからと、仕事を詰め過ぎたのだ。私は未来に縛られたのかもしれない。スケジュール表では空いているが、来週は中国向け原稿作成、3社の提案資料作成、2つの勉強会、2社の提案、単行本の図表作成など、記載していない業務がたくさんある。
軽井沢へ行けば会いたい人はたくさんいる。行きたい場所もたくさんある。こう考えたのも熟した梅の実を見て、きっとお前は仕事のやりすぎだぞと指令した脳の働きであろうと思う。
こんなシーソーゲームを繰り返しながら毎日が過ぎ、季節が移ろいすぎていく。懲りない私はいつでも懲りながらm懲りないような顔をしてシーソーゲームを続けている。