強風が吹いた後でもあったので、軽井沢にクルマを飛ばそうと渋滞情報をネットで見たら、とてつもない予報が出ているので、中止して仕事に切り替えた。というわけで3連休の2日間は仕事、残り一日は?。どうなることか分からない。
世界は波乱に満ちている。ギリシャがデフォルトになればその飛び火はポルトガル、スペイン、イタリアに向かう。そうなるとリーマンショックどころではない。どの国も政治が安定していないことは、時代の変わり目に政治や官僚が時代を見ていないことに尽きる。内閣は震災復興予算を未来に負わせるなと、おかしな理屈を並べているが、それならいままで積み上げた国債は未来の国民に引き渡してもいいのかという理屈になる。
私が大切なものを手離したら、それは断捨離だとアドバイスをしてくれた友もいたし、震災以降、必要なものだけを身のそばにおいて不要なものは手離すのがこれからの生き方だとメールをよこした友もいた。
しかし、それでは日本は小さくなるだけだな。ものを大切にすることはよいが、良いものだけを身の回りにおくことが、豊かに暮らせる方法なのにと思う。人間は時代に生きている。私は高度経済成長時代~バブル期をよく知っている。
若いA君は、私は高度経済成長もバブル期も知りませんと言っていた。娘の子どもたちはグラっと家が揺れると、目にも留まらない速さでテーブルの下にもぐっている。こんな技術を身につけているのも時代がさせたのだ。
私は1943年生まれだから、戦争疎開も体験し覚えている。小学校では毛じらみ検査があって、しらみがいるとDDTという人体に有害な殺虫剤の粉末を頭が真っ白になるまで掛けられていた女の子の顔を今でも覚えている。14インチテレビが我が家に入ると、近所中の子どもや大人たちが集まって数十人もくろだかりになったことも覚えている。日産サニーとトヨタカローラが戦っていたこともよく覚えている。
バブルの時は凄かった。私がコンサルタントを始めるために青山4丁目に小さな事務所を借りたが、その9坪に満たない小さな事務所に1億円の値段がついていた。こうして儲けた人たちはやがてバブルの崩壊とともに財を失うこの姿も見ている。当時コンサルティングをしていた会社の社長はロールスロイスを買ったが、2ドアにしなさいとのアドバイスを聴かずに4ドアを買って、いつも運転手に間違えられると怒っていたし、日本で儲けられなかった人はスペインの土地を買えと叫んでいたことも覚えている。旧軽井沢は一坪300万円もしていたし、1億円では群馬県の北軽井沢しかありませんと当時の不動産誌には載っていたことも覚えている。やがてバブルははじけ、不動産王であって東北生まれの歌手は想像もつかないほどの負債を抱えた。
私より20歳早く生まれた若者は、皆戦争に徴集されて戦争をした。私の兄はビルマで戦死し、もう一人は長崎原爆で死んだ。こうして人は時代に翻弄されて、流されて生きている。そこからは誰もが逃れることはできない。時代とは、時間から時間の間に繰り広げられる一代記のことである。
友がシンガポールから帰ってきて、日本の活気になさに驚いている。日本は必要なものだけを身の回りに置いて清く正しく貧しく生きていこうとしているんじゃないかと驚いている。もう日本では住めない。シンガポールは活気があるよと驚いている。
30年位前から日本では東南アジアや韓国へ行く売春ツアーが男の世界で流行っていたが、いまは逆で観光バスが新宿に乗り付け、中国人がぞろぞろと降りてきている。
すべては時代がなせる業だ。人間は時代を超えては生きられないのだ。使い切れないほどの巨額な富を持っていたとしても時代から離れて生きることはできないのである。
私はアップル社を創業したジョブズのスタンフォー大学の名演説が好きだ。「ハングリーであれ、バカであれ」。日本人はハングリー精神がないと思う。各言う私もあまりない。
相撲を見ても優勝争いをしている人たちは皆外国人だ。優勝賞金1000万円は、国に帰ればとてつもない巨額なお金だ。
日本人が清く正しく貧しく生きることを選択するのではなく、ハングリーで生きていくことを選ぶのが必要だと思っている。
いまの時代を生きるには、縮こまることではなく、ハングリーになることなのだ。
だから自分自身にハングリーであれと言い聞かせて、私は自らが開発した「i-BREA」を広めて行くべく、こうして3連休の2日は仕事をしようと思っているのである。