拙ブログを読んでくださる友人から、時折「携帯電話をなくしたのですか」と、忘れたことを思い出したようにして連絡が入る。昨日も連絡が付けばよいなと思っていた友人から、「携帯電話をなくしてもうつながらないかと思いました」と携帯電話が入った。
「番号は同じってブログに書かなかったけれど番号は変わりません」と説明をしたが、つながった後ではまったく意味のない説明であった。念のために掛けてみたらつながったと、電話先から安堵の声が流れてきた。
人は素っ裸で生まれてくるが、生きている間にいろいろなものを買うなと思う。私の身の回りにも物が溢れている。腕時計だって一つあれば十分なのに幾つもあるし、クルマだってまだ動くのに何台も買い換えたし、衣類だって捨てればよいのに捨てていないものがたくさんあるし、・・・でも携帯電話だけは、最後まで捨てられないだろうなと思う。
紛失してみて確かにそう思った。携帯電話の先にはすぐにつながる人が、そこにいるからだ。
東北大震災、そして原発事故の後に、日本中で「絆」と叫ばれていた。しかし日本の地方は、絆って叫ばなくとも絆だけで関係は出来上がっている。絆がないのは都会だけである。
Facebookは、都会の民が絆を求めている場所だ。人は絆無しでは生きられない存在だから、絆と叫んでいる人は絆を持っていない人たちなのか、何かの目的で誘導している人たちだけなのだ。
被災者が欲しいのは、絆と声高に叫ぶことではなく、暖かい住まいと、お金と仕事だ。絆が大事だと思うのは絆を持っていない都会の人たちだ。
東北大震災の被災者たちは、寡黙である。東北の人たちは、米をつくるようになってから飢饉を体験した。タイ米で分かるように米は本来暖かい地域の作物である。それを寒冷地でつくるように奨励したのだから冷害が出るのは当たり前である。それを寒さに強い米に変えたのは先人たちの努力である。絆が大事であると気付いたのは都会人である。東北の人たちは都会人から絆なんていわれなくても親族や地域の人たちと心を通わせ前を向いて生きている。
私は、携帯電話をなくしていつも連絡ができる人とすぐに連絡が取れなくなったときに、なんと道具に絆づくりを任せてしまっていたと思った。
ある友人が、「時折、そうやってこれまでの人脈と途切れてみることも大事。新しい関係は生まれてくるし、必要な人とは必ずつながる。またいつの日か、携帯電話番号はまた一杯に埋まる」と慰めてくれたことを思い出した。必要な人とは必ずつながると言うことが心に響いた。
以上が携帯電話紛失事故の続編である。