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BWMを2400台超も販売した飯尾昭夫さんは、私と28年の付き合いになる。彼はBWM東京で実績を残し支店長を歴任した。輸入車業界では知らない人はいないほど有名な、伝説のセールスマンである。その後BMWジャパンで2年勤務して退職し、自分の事務所を構えた。
私は、飯尾さんにこれまでの経験を生かして営業とは何か、飯尾哲学を残すべきだと出版を勧め、私を担当してくれる出版社の編集者を紹介した。
昨日、夜に携帯が鳴って見本刷り10冊を入手したと弾んだ声で報告があった。
本は3月初旬に書店に並ぶ。
私はその夜、飯尾さんとの歴史を振り返ってみた。私が独立した翌年、ドイツ車に乗ろうと決めて、BMW東京の高輪店に電話をしたら、すぐ来たのが飯尾さんであった。私は飯尾さんのガイドで試乗をして購入意志を伝えた。それが縁のスタートである。
それから28年後に私の奨めで飯尾さんが本を出版することになった。出会ってから28年間に飯尾さんは精進を重ねて、自らの玉を磨き日本一のBMWセールスマンになった。BMWドイツ本社でも飯尾さんの名前は知れ渡っている。ジャガーのセールスマンに訊いたら伝説のセールスマンだと伺っていますと言うほどである。だからこそ本が出せたのであって私が出版社を紹介したからではない。
けれど飯尾さんは電話口で私のお陰でと何度も繰り返した。「そんなことはありません。いくら紹介しても玉が悪ければ出版社は手をつけませんよ」。私も同じ言葉を何度も繰り返した。
投稿情報: 14:22 | 個別ページ
母音にあが入る「あ・か・さ・た・な・は・ま・わ・ら・わ)は、聴いていて暖かい。暖かという言葉が何で暖かく感じるのかと思ったら「あ」の字が4つも入っているからだ。
軽井沢も雨になって雪は解けるでしょうと、軽井沢の知友が電話で言っていた。三寒四温の時期に入ったのだと思う。庭に出てみると木蓮のつぼみはふくらみ、梅のつぼみは紅く膨らんでいる。まもなくどこともなくチンチョウゲの香りが漂ってくるだろう。今年の冬は日本が凍り縮こまった。まだ、寒い日はあるだろうがもうすぐ春になる。
春を訪ねて、東京の桜が終わった頃、京都の桜を追いかけたことがある。秀吉の醍醐寺桜の宴は、秀吉が絶頂期のころである。今でも中世期が大好きな日本人は、昨日の出来事のように醍醐の宴を語り桜を称える。私は南禅寺で21歳の頃に椿が刷り込まれているから椿が大好きだ。このような椿の古木もいいなあ。
投稿情報: 21:26 | 個別ページ
物を捨てられないのは愛着があるからだと人はいう。人や物への思いを断ち切れないことを愛着という。普段はまったく忘れていることでもどこからひょいと出てきた物を見ると、物に絡む思いがあって、思いとからむ物を捨てきれない。こうして人の周辺に物がたしかに増える。
物を捨ててしまえば思いはなくなる。物を捨てても忘れられない思いこそが、心にひだに刷り込まれた、物がなくても思いが残っている真の思いだ。
私のまわりにも物がたくさん残っている。なぜ捨てきれないかと言えば愛着があるからだ。愛着があって捨てきれないから物が残っている。
執着(しゅうじゃく)は、強く心を引かれ、とらわれること。深く思い込んで忘れられないことと広辞苑にはある。金に執着するなどと用いている。
恐怖は愛着から生まれると誰かが言っている。愛着心を持たなければ恐怖心は生まれないと誰かが言っている。確かにそうかも知れないのだが、愛着心があるから人間は前に向かって進むことができる。人にも物にも自然にも価値にもありとあらゆる存在するもの一切から愛着心を捨てるとは、解脱、悟りを意味するものだ。
いま、愛着とは何かと考えている。
生涯現役を貫くには、生活上必要なもの、人生を豊かにするために好きなもの、どちらにも属さないものと、愛着を三つに整理することではないかと思った。
生涯現役とは、愛着を整理したうえで人生に愛着を持って生きることではないかと思った。
人生を現役で生きていくためには、愛着を持ち続けなければいけない。愛着を持つから幾つになっても人を愛せ、物を大事にできる。
物を見なければ思いが浮かばない物は捨ててよいと思う。身の回りは次第に身軽にしていかなければならない。けれども豊かな人生を過ごすための物を捨てることはない。私は自分相応に、生涯愛着を持って生きていこうと思った。生涯現役とは生涯愛着のことだ。生涯執着では困るけれど、脳の変化に相応な愛着はあってよいと思った。
投稿情報: 16:46 | 個別ページ
昨日は遺骨の処理を巡っての特集TV番組を見たのがよくなかった。埋葬できない・・死んでも入る墓がない遺骨が都内で100万体以上もあって押入れの中に眠っていると言うような僧侶の話もあったが、死だけでなく遺骨の処理がビジネスになっている実態がよく分かった。
独身だった夫の弟が病気で死んで、その遺骨を、夫が自分でつくった墓地に埋葬しようとしたが、寺が直系以外の埋葬は認めないと言うことで埋葬できず遺骨と一緒に暮らしている老夫婦の話は、実に悲劇であり、喜劇であった。
これまで、この島国でどれほどの人数が生まれて死んでいったのだろうか。その遺骨はすべて墓地に埋葬されて墓地は残っているのだろうか。骨は残っているのだろうか。遺族が墓を守り、供養をしているのだろうか。
骨壷の容量に合わせた量だけ遺骨が残るように火葬の温度が制御しているから、火葬の時に遺骨必要、不必要の選択ができて、不必要なら完全に燃やし切ってしまえば遺骨は残らず、それで良いと思う。
インドではガンジス川辺で遺体を燃やし、灰は川に流してしまう。奄美大島でも風葬がなくなったのはそんなに昔のことではない。遺体を人間が砕いて鳥に食べさせてしまう鳥葬もあるし、船舶で死んだら遺体は水葬だ。だから完全に燃やしてしまえば火葬ではなく空葬になる。
骨を大事にするのは、儒教の影響だが、喜納昌吉は以前私に、人は誕生を神社で管理され、死を寺で管理されるとよく言っていた。檀家制度は江戸時代における宗教統制政策から生まれたものである。檀家とは梵語でダーナパテイ(寺や僧侶を庇護する制度)の音写である。宗教は時々の政治に寄り添って力をつけていった。政治は宗教を利用した。檀家制度もその一つである。
檀家制度は旧き時代からあるが江戸時代にキリスト教を弾圧した徳川幕府は仏教を事実上の国教として,寺請制度をつくった。住民はすべて寺に所属し寺の証文をもらわなければならず、証文のない人は、キリシタンとレッテルを貼られたか、無宿人であった。そして寺は先祖供養や葬儀一切を管轄することにより幕府はキリスト教の侵入を防いだのである。これが寺請制度である。
遺骨は檀家制度を維持するための象徴であった。住民も競って自分はキリスト教ではないことを周囲に示す必要があった。周囲とは寺であり、隣近所の目のことである。欠かさぬ墓参、お寺への寄進が自己証明の姿である。みなが競って、いい子振りを示すことで檀家制度は日本固有文化として定着したのである。
さて、時代が変わったのに、国民は江戸時代の宗教統制政策が生んだ風習を引き継いでいるから、時代についていけなくなっていることが、遺骨を巡る話である。
人間は夢がなければ生きてはいけず、孤独でも生きてはいけない。死ぬ一歩手前では夢も希望も何もあったものではない。人生のすべては一箪の夢であり、脳が築き上げたショートストーリーに他ならない結末を迎える。死んだ後、遺品は整理業者の手で、仏壇も何もかも持ち去られ廃棄される。
私はこう考えてから、この考えは一個の生を見つめていない傍観者としての愚かな知恵であると気付いた。テレビのまとめ方に影響を受けた自分を恥じた。
法律を変えて遺骨の作り方の選択、処理の仕方の選択を自由にすべきである。遺言で残せるようにすべきである。遺骨などは故人にはどうでもよい話である。できれば山野の土に還すか、海に還すかして他の生き物にわずかでも循環できる消滅の仕方ができればそれに勝る方法はない。
昨日、iPadのアプリが調子悪いこともあって、iPadに触れることなく、いろいろ考える時間を持った。生きている時々を成り切って生きること。これが考えての結論であった。
人間に生と死はつき物であり、生も、幼も、青も、壮も、熟も、老も、衰えも、死もつき物である。これらは事実として人間に突きつける。65歳以上の高齢者が増えると言うのではなく、65歳だって75歳だって、クリエイティブな仕事をやっていけるのだ。だから年齢は関係がない。生きている時々を成り切って生きればよい。明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で足れりである。ふと21歳の時に出会った、京都南禅寺管長であった柴山全慶師の言葉を思い出した。
けれども その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり 一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている
投稿情報: 14:52 | 個別ページ
追分測候所の発表では気温が-17.9度だそうだ。追分とは江戸時代に軽井沢の二つ先の宿で、今は軽井沢町に属する。民謡、小諸追分でちょっとは知られている地域だ。
2009年は、2月にはノーマルタイヤで軽井沢へ行き、日本ロマンチック街道を抜けて北軽井沢まで行けたものだが、今年はそうはいかない。友人のFacebookには、雪に埋もれた別荘地に行くと狐が人に寄ってくると写真入りでUPしていたが、野生動物が人に寄ってくるのは、よほどの空腹なんだろう。冬は食べ物がなくなるから、冬を耐え抜く生き物は厳しい生き方を迫られる。
私が仕事を終えて東京メトロの駅に行くには川越街道(春日通り)を南に向かうことになる。川越街道は南北に走っているから北風の通り道になる。川越方面から吹く北風は、今年はことのほか強く冷たい。
駅に行くために抜ける公園には、家のない人が寝泊りしている。彼は公園を照らす街灯の下で、姿勢を正して本を読んでいる。彼の寝床はゴミ集積場の壁にさえぎられた場所である。私はホームレスにどのような救済施設があるのか知らない。他の選択肢もある中で彼はここを選択し、自己責任で生きているのだから、私はここに口を挟む気はない。この時、私は野の生き物と同じように、人間も冬は厳しい生き方を迫られていると思った。
問題はどこにもない。追分測候所が示すとおり、大寒波が大陸から押し寄せてきているだけのことだ。この寒さが雪を積もらせ、やがてこの雪は地下水になり、春に雪解け水となって大地に恵みを与える。その一過程だ。
メディアは豪雪を悪しき事件のような扱いで報じるが、私は夜更けに寒波で身を縮めながらも帰宅への道すがら別のことを考えている。
雪
三好達治
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
二郎を眠らせ、二郎の屋根に雪ふりつむ
雪
雪
三好達治
太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。
投稿情報: 10:59 | 個別ページ
拙ブログを読んでくださる友人から、時折「携帯電話をなくしたのですか」と、忘れたことを思い出したようにして連絡が入る。昨日も連絡が付けばよいなと思っていた友人から、「携帯電話をなくしてもうつながらないかと思いました」と携帯電話が入った。
「番号は同じってブログに書かなかったけれど番号は変わりません」と説明をしたが、つながった後ではまったく意味のない説明であった。念のために掛けてみたらつながったと、電話先から安堵の声が流れてきた。
人は素っ裸で生まれてくるが、生きている間にいろいろなものを買うなと思う。私の身の回りにも物が溢れている。腕時計だって一つあれば十分なのに幾つもあるし、クルマだってまだ動くのに何台も買い換えたし、衣類だって捨てればよいのに捨てていないものがたくさんあるし、・・・でも携帯電話だけは、最後まで捨てられないだろうなと思う。
紛失してみて確かにそう思った。携帯電話の先にはすぐにつながる人が、そこにいるからだ。
東北大震災、そして原発事故の後に、日本中で「絆」と叫ばれていた。しかし日本の地方は、絆って叫ばなくとも絆だけで関係は出来上がっている。絆がないのは都会だけである。
Facebookは、都会の民が絆を求めている場所だ。人は絆無しでは生きられない存在だから、絆と叫んでいる人は絆を持っていない人たちなのか、何かの目的で誘導している人たちだけなのだ。
被災者が欲しいのは、絆と声高に叫ぶことではなく、暖かい住まいと、お金と仕事だ。絆が大事だと思うのは絆を持っていない都会の人たちだ。
東北大震災の被災者たちは、寡黙である。東北の人たちは、米をつくるようになってから飢饉を体験した。タイ米で分かるように米は本来暖かい地域の作物である。それを寒冷地でつくるように奨励したのだから冷害が出るのは当たり前である。それを寒さに強い米に変えたのは先人たちの努力である。絆が大事であると気付いたのは都会人である。東北の人たちは都会人から絆なんていわれなくても親族や地域の人たちと心を通わせ前を向いて生きている。
私は、携帯電話をなくしていつも連絡ができる人とすぐに連絡が取れなくなったときに、なんと道具に絆づくりを任せてしまっていたと思った。
ある友人が、「時折、そうやってこれまでの人脈と途切れてみることも大事。新しい関係は生まれてくるし、必要な人とは必ずつながる。またいつの日か、携帯電話番号はまた一杯に埋まる」と慰めてくれたことを思い出した。必要な人とは必ずつながると言うことが心に響いた。
以上が携帯電話紛失事故の続編である。
投稿情報: 19:25 | 個別ページ
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