昨日は遺骨の処理を巡っての特集TV番組を見たのがよくなかった。埋葬できない・・死んでも入る墓がない遺骨が都内で100万体以上もあって押入れの中に眠っていると言うような僧侶の話もあったが、死だけでなく遺骨の処理がビジネスになっている実態がよく分かった。
独身だった夫の弟が病気で死んで、その遺骨を、夫が自分でつくった墓地に埋葬しようとしたが、寺が直系以外の埋葬は認めないと言うことで埋葬できず遺骨と一緒に暮らしている老夫婦の話は、実に悲劇であり、喜劇であった。
これまで、この島国でどれほどの人数が生まれて死んでいったのだろうか。その遺骨はすべて墓地に埋葬されて墓地は残っているのだろうか。骨は残っているのだろうか。遺族が墓を守り、供養をしているのだろうか。
骨壷の容量に合わせた量だけ遺骨が残るように火葬の温度が制御しているから、火葬の時に遺骨必要、不必要の選択ができて、不必要なら完全に燃やし切ってしまえば遺骨は残らず、それで良いと思う。
インドではガンジス川辺で遺体を燃やし、灰は川に流してしまう。奄美大島でも風葬がなくなったのはそんなに昔のことではない。遺体を人間が砕いて鳥に食べさせてしまう鳥葬もあるし、船舶で死んだら遺体は水葬だ。だから完全に燃やしてしまえば火葬ではなく空葬になる。
骨を大事にするのは、儒教の影響だが、喜納昌吉は以前私に、人は誕生を神社で管理され、死を寺で管理されるとよく言っていた。檀家制度は江戸時代における宗教統制政策から生まれたものである。檀家とは梵語でダーナパテイ(寺や僧侶を庇護する制度)の音写である。宗教は時々の政治に寄り添って力をつけていった。政治は宗教を利用した。檀家制度もその一つである。
檀家制度は旧き時代からあるが江戸時代にキリスト教を弾圧した徳川幕府は仏教を事実上の国教として,寺請制度をつくった。住民はすべて寺に所属し寺の証文をもらわなければならず、証文のない人は、キリシタンとレッテルを貼られたか、無宿人であった。そして寺は先祖供養や葬儀一切を管轄することにより幕府はキリスト教の侵入を防いだのである。これが寺請制度である。
遺骨は檀家制度を維持するための象徴であった。住民も競って自分はキリスト教ではないことを周囲に示す必要があった。周囲とは寺であり、隣近所の目のことである。欠かさぬ墓参、お寺への寄進が自己証明の姿である。みなが競って、いい子振りを示すことで檀家制度は日本固有文化として定着したのである。
さて、時代が変わったのに、国民は江戸時代の宗教統制政策が生んだ風習を引き継いでいるから、時代についていけなくなっていることが、遺骨を巡る話である。
人間は夢がなければ生きてはいけず、孤独でも生きてはいけない。死ぬ一歩手前では夢も希望も何もあったものではない。人生のすべては一箪の夢であり、脳が築き上げたショートストーリーに他ならない結末を迎える。死んだ後、遺品は整理業者の手で、仏壇も何もかも持ち去られ廃棄される。
私はこう考えてから、この考えは一個の生を見つめていない傍観者としての愚かな知恵であると気付いた。テレビのまとめ方に影響を受けた自分を恥じた。
法律を変えて遺骨の作り方の選択、処理の仕方の選択を自由にすべきである。遺言で残せるようにすべきである。遺骨などは故人にはどうでもよい話である。できれば山野の土に還すか、海に還すかして他の生き物にわずかでも循環できる消滅の仕方ができればそれに勝る方法はない。
昨日、iPadのアプリが調子悪いこともあって、iPadに触れることなく、いろいろ考える時間を持った。生きている時々を成り切って生きること。これが考えての結論であった。
人間に生と死はつき物であり、生も、幼も、青も、壮も、熟も、老も、衰えも、死もつき物である。これらは事実として人間に突きつける。65歳以上の高齢者が増えると言うのではなく、65歳だって75歳だって、クリエイティブな仕事をやっていけるのだ。だから年齢は関係がない。生きている時々を成り切って生きればよい。明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で足れりである。ふと21歳の時に出会った、京都南禅寺管長であった柴山全慶師の言葉を思い出した。
花語らず
柴山全慶
花は黙って咲き 黙って散っていく
そうしてふたたび枝に帰らない
けれども その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり 一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている