季節は春になった。昨年は大きなお金を使う気がしなかった人たちがお金を使う気になってきた。自動車の国内販売台数が伸びてきている。ようやく震災ショックから我に戻ったのだろう。
原発大事故をも含めて何も終わってはいない。何も始まってはいない。被災地の人たちは動いていない中に立ちつくしている。
その被災地にも春が来る。私はこの仕事を始めてすぐに福島の会社にコンサルティングをしたことがある。3年くらい続いて、その間、私は福島県内をクルマに乗ってよく走った。
伊達市には冨田家がある。関ヶ原の戦いで西軍に付いた四国宇和島城主だった冨田家が、徳川の世になってこの地に入封された。その冨田家本家には冨田家のためにだけ神社ができていた。この冨田さんと私は仕事をした。彼は福島県全域を案内してくれた。信夫山にもよく登った。
浜通りから伊達市に抜ける道の紅葉は息を飲み続けた。見渡す限り紅葉の森を走るこの光景は美しかった。
中通りは言うまでもなく会津若松にもよく行った。
福島二本松は智恵子抄の高村智恵子が生まれた故郷である。安達太良山、阿武隈川、智恵子は福島の空に本当の空を見つけた。
フルーツ街道があって季節の果物を食べた。すぐ思い出すのは大きな桃、干し柿だ。よく食べた。
福島県は三つに区分けできる。会津、中通り、浜通りだ。それぞれ人の気性も違うが、それはそれは素晴らしい人たちであった。その福島にも春がやってくる。
人はそれぞれ自分の生活空間がある。
時間は、生きとし生けるもののすべてを忘却の彼方に押しやる。
がんばれと叫び、絆と叫んだ人たちは、いま、この地に暮らしていた確かな証拠、形を変えて「がれき」と名前も変わってしまった、ここで生きた証の残影を受け入れようとしない。
被災地の真ん中で忍耐強く立ちつくしている人たちの心の中は如何ばかりかと私は思う。
若者たちはこの現場を知らせなければいけない。あらゆるメディアを使って伝え続けなければいけない。
がれきを拒否する人たちを否定することなく、怒ることもなく、淡々と伝えなければいけない。
人間は誰でもそういうものなのだ。当事者でなければ時間とともに関心は薄れてしまうものなのだ。だから心変わりをする人間を怒ってはならない。若者よ。淡々と、事実を伝え続けることだ。それがいちばん伝わる方法なのだ。
福島にも春がやってくる。花が咲き、鳥がさえずる春がやってくる。寒かった冬は終り、暖かな春がやってくる。
忍耐強い福島の人たちよ。行列をつくって静かに順番が来るのを待っていた人たちよ。まもなく暖かな春がやってくる。