東京では、葉桜になった。私はこの週末も仕事だ。確実にオーバーワークの量を抱えているから、いつでも週末は仕事になる。今日は月曜日に始まる新しい仕事のキックオフ講演資料。一昨日はグローバル製薬業への提案。
明日は来週開催のグローバル企業への提案資料作成。すべてがi-BREA理論を展開する業務だ。
私が発案し、いくつかの企業が結集して、新しい時代の新しい営業の仕方を作り上げた。主役は、営業パーソンとiPadである。
そのほかにもDTPソフトを覚えなければいけないことになっている。illrastrater、photoshopというADBE社のデスクトップパブリッシングソフトだ。スクールへ行かなければ無理だろう。69歳の手習いだ。
来週の日曜日は、人と約束をしていて軽井沢へ出かける。人とは、久しぶりに出会った建築家のことである。建築家は日本が古来から伝わっているいくつかの建築方法を今に伝えている。そのうえ、ロケットストーブを手がけ、水を加えることで燃焼温度を2000℃以上にすることに成功している。この建築家がこんなことをブログに書いていた。
「休むという字は、人が木に寄りかかっている姿を表している」と。
この建築家に面会を申し出、22日の午後3時に私が指定した軽井沢の森に囲まれた喫茶店で会うことになっている。
この建築家の暮らしぶりをブログで拝見すると、晴耕雨読そのものだ。しかも地域を関係を深め、縄文人のような暮らし方である。
私のようにすべてを人に頼み、人に任せ、お金で解決するような生き方ではない。
食料はほぼ自分で作り、畑を耕し、水田に稲を植え、猟師からいのししを貰い、川で魚を釣り、薪は山を持っている人に山の手入れを薦め、自分が手を入れて余分な木を貰い、自分で薪を作っている。
この建築家は、いまだにコマイを組んで泥壁の家を作り、釘を使わない軸組み工法で家を作っている。
私は、これから休むために今忙しくしているのだ。憂いがないようにすべてを出し切って仕事をして、後継者に譲り、自分は木に寄り添いながら、次に私を待ち受けている仕事をする。
この建築家のように、都会で長く住んでいたので他人依存の生活に慣れてしまい、自給自足、晴耕雨読の生き方などできる由もないが、それはそれなりに生きていくことができると思っている。
今日は、22日に別のお誘いがあったが、自分から面会を申し出て予定をずらすのも建築家に失礼だと思い、お誘いをお断りした。
それにしても休むという字は、木に人が寄り添っているというのは、いいなあ。