森村誠一のベストセラー作「人間の証明」で、一躍有名になった安中市松井田町坂本の山奥にある霧積温泉に行こうと思いたったのは、軽井沢インターをでてすぐのことであった。
相変わらず仕事は山ほど抱えているのだが、休みを取らないと効率が上がらないことは身体に染みて理解しているので10時30分、ハンドルを握って家を出発したのであった。
夏季休暇の週末であったので道路は混雑しているだろうと見込んでいたが、渋滞なく軽井沢のインターに着いた。インターにたどり着いたらころりと気が変わった。
「そうだ!霧積温泉に行ってみよう。」というわけである。
インターを出ると目の前に信号がある。左折か直進をすれば軽井沢まで8キロだが、右折すると松井田に降りる。本当は軽井沢駅前の道を東に進めば霧積温泉は近かった。けれども軽井沢まで渋滞をしている可能性も高い。
信号を右折したクルマは、目前にそびえる高岩山をぐるりと回りながら、どんどんと山を下っていく。 上掲の住所、坂本とは中山道坂本宿のことである。
軽井沢が発見されるまで霧積温泉は避暑地として知られ、全盛期には50軒の旅館があったそうだ。
しかし山津波が起きて一軒を残して全部が流された。残された一軒が金湯館である。金湯館は明治19年創業である。建物も創業時からのものというからすごい。
人間の証明で有名になった「母さん。僕のあの帽子は、どうしたでせうね」は、西条八十の詩「帽子」の冒頭である。
この日、私は霧積温泉にはたどり着けなかった。クルマを道路の行き止まりにあった霧積温泉用の駐車場に止めてから、山津波の痕跡ではないかと思うほど岩肌が多い急峻な山道を30分ほど登らなければ秘湯に到着しなかったのである。私はトライしてすぐにあきらめた。
靴は自動車運転専用で、ごろごろとした岩を登るにはまったく適していなかった。どこかに車道はあるようだが、日帰り温泉に来る顧客には秘境の道路を開放してはいなかった。
私にとって秘境の温泉は、幻の温泉になった。
帽 子 西条八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどとうとう駄目だった。
なにしろ深い渓谷で、それに草が
背丈ぐらい伸びていたんですもの。
母さん、本当にあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れちゃつたでせうね。
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの渓間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いたY・Sという頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。