長く続けていたメールマガジンを休んでいる。
そこで、からだでも壊したのではないかと心配のメールをいただくことが増えてきた。長く付き合いをしているKさんから、メールマガジンの申込書が会社に届いた。
Kさんも心配をしてくれているんだと、私はすぐに電話をした。Kさんは長野県の工場勤務になっていた。彼は化粧品メーカーに勤務していて、私は一度本社に訪ねたことがある。
都会の一等地から森の中に本社を移し、それはそれは森に佇むすばらしい建築物であったが、長野の工場も同じデザイナーが担当したのだろう。それはそれは美しい工場である。
Kさんは私を社長に引き合わせて、私の提唱する戦略を導入することが大事であると説いた。社長も同感し、すぐに実行せよと指示をしたが、ビジネスの構造が戦略を展開できる構造をしていなかった。
Kさんはそれでもあきらめずにいたが、工場勤務に移った。
普通はそれで縁が切れてしまうものだが、Kさんとは縁は切れなかった。Kさんはいつも私のことを思い出してくれ、私もKさんのことを、あの美しい森に佇む美しい建物と重ねながら思い出していた。だからKさんからのメールマガジン申込書には、いろいろな想いが閉じ込められている。私もすぐに電話をいれた。
「私はいま軽井沢に住んでいるのです」Kさんの声は心弾んでいた。「え。本当に?」私は驚いた。「自宅を売却し、妻と一緒に軽井沢へ移りました」
「軽井沢のどこに住んでいるの?」
「こちらから軽井沢駅方面に進みますと追分の先に仮宿ってあるんです」
「仮宿ですか?江戸時代、追分宿に、本陣があって、参勤交代の大名は追分宿にある本陣に泊まったのですが、下級武士は追分宿に泊まらず、その先に泊まったのです。仮の宿場という意味で仮宿と付いたのですが、その名前は当時の名残です」
私は仮宿と名前が付いた地名の由来を説明したら、Kさんは「そうだったんですか」と、言った。
「軽井沢は住んでいかがですか?」
「最高です」
「冬はどうですか?」
「寒いです。しかし冬は最高です」
話は止まらず、30分くらいは話していただろうか。
「今度軽井沢で会いましょう。Kさんが軽井沢に住んでいるなんて夢のようです」
本当にそうであった。
Kさんも言った。「縁の不思議を感じます」
この日、私は一日中うれしかった。うれしくてうれしくてたまらなかった。