肉体以外はすべて「虚」である。いま生きていることだけが「実」で、過去も未来も「虚」である。
虚とは、人間の脳がつくり上げたもの。そこには夢も希望も失意も喜怒哀楽も、人間の脳がつくりだした情念と理念が渦巻いている世界だ。
けれども人間は、だれでも見果てぬ夢を追いかけ、人のために、自分のために働き、家族を養い、子供を教育し、生きている。この人間活動はすべて「虚」に分類される。
私は恩師と二人で東南アジアに出かけた。ペナン、クアランプール、シンガポールへの旅であった。その後に二人で沖縄旅行に出かけた。私は恩師にとってはかけがえのない教え子の一人であった。心を許してどんなことでも話をしてくれた。
この沖縄旅行で、恩師は食べ物を飲み込むたびに痛みが走ると私に告白した。私は瞬間に、食道潰瘍、最悪には癌であると感じた。
私は築地がんセンターへ行くことを勧めたが恩師は君が入院していた日赤病院がいいよと癌の名前が付く築地がんセンターを避けた。世間体を気にしていたのであると思った。
私は、一緒に日赤病院へ行った。耳鼻咽喉には問題はないが、食道を診てもらいましょうと耳鼻咽喉科の医師判断で、診療科が変更になった。結果はすぐに入院となった。
恩師は当時、有名学校法人の常務理事であった。とても入院はできないと私にスケジュール表を見せた。
私は言った。「先生。そんなことはどうでもよろしいのです。肉体だけがすべてです。肉体がなくなれば先生にとって、大学も、富士山も山手線もなくなってしまうのです」
その一言で恩師はすべてを理解してくれた。
しばらくしてから、私は夫人と電話で語った。「主人はかなり進んだ食道がんで、医師から余命宣言を通告されています。ただ主人には伝えておりません。
本人は生きようとしていますから、私はゴルフに出かける主人を止めたりしません」
再入院しても、年に一回集まる「ゼミナリステン・ミーティング」には、病室から抜け出すようにして参加をしてくれた。痩せて小さくなり、声も出なくなっていった。
私が心配で自宅に電話をしたら恩師は電話口に出てくれた。「いよう。服部君!元気でやっていますか?」その声は体中から絞り出すようなうめき声であった。
私がシンガポールから帰国して成田から家に電話をすると、恩師逝去の知らせが入っていた。出棺の時間を遅らせても服部さんが来て下さるのなら待ちますと伝言であった。私は成田から品川区の自宅へ旅着のまま直行した。
夫人は、「主人はどなたからの電話も一切出なかったのです。服部さんの電話だけでした」。と語った。
「やり残していることがたくさんあるっておっしゃっていたのですが残念でたまりません」と、学校関係者は密葬の席で涙を流した。
人間にとって肉体だけが実である。そのほかは虚である。けれども人間は虚を追い掛けなければ自分も生きられない。家族も守ることができない。健康な肉体があるだけでは人間は生きられない。
命には限りがあり、夢は限りがない。限りがない夢を、時間に限りがある人間が追い掛けるところに、夢半ばで命が尽きる現実をたくさん見聞きする。
「この世は夢半ばにして死んでしまった人たちの無念が渦巻いている」。この一節は私が10代のころ読んだ亀井勝一郎の言葉である。
若い人に、肉体だけが実であるという言葉は通用しない。信じる必要もない。肉体をいたわらないと夢は実現できないということも信じなくてもいい。健康第一で生きなさいという必要もない。
いまを生きること。いまを生き抜き、いまを息抜くこと。
この方法が、肉体だけが実であることを立証する唯一の選択であると私は思うのである。