東京はまだ雪が溶けないでいる。おかげで氷冷蔵庫のような状態になって、東京人は縮こまっている。けれども天気予報では最高気温が8℃とか9℃になっていて、本州で一番寒いと言われている軽井沢の11月末ころの気温と、そうは変わらない。
沖縄からくる友人は、冬には決死の覚悟で上京するし、夏は東京は沖縄より暑いとぐったりして上京してくる。北海道広尾町に住む友人は、なんもなんもと方言を使いながら、こんな寒さは寒いうちに入らないと豪快である。
私も札幌には何十回となく訪問しているが、部屋が暖かいのでその勢いで外に出てクルマに乗ってしまえばもう寒くはない。飲食店に飛び込めば中はすこぶる暖かい。ホテルは必要以上に温かい。私にとって札幌は決して寒い町ではないのだ。
会社勤めの時、おもしろい経験をしたことがある。小樽の顧客先に訪問し、仕事を終え外へでるとクルマがない。地吹雪でクルマがすっぽり雪の中に隠されてしまったのである。
冬の石狩川沿いを走ったときは、地吹雪が下から上に舞い上げてきて前方は全く見えなくなった。
けれども寒くはなかった。クルマは暖房が効いているしホテルに飛び込めばそこは別世界であった。
軽井沢は札幌くらいの気温と言われている。確かに最低気温は昨年で-19℃を記録しているし確かに寒いのだが、軽井沢に住む人は、年間を通して冬が一番好きだというのだから、寒さとはなんだということになる。スキーをやる人は冬を待ち遠しく待っている。
私が子供のころは、冬は寒かった。氷が毎朝、道路を張りつめていたし、霜柱も普通だった。いまはそんなことはめったにない。寒いかどうかは肌の馴れと、心の持ちようで決まるようだ。暑いも同じである。
ただ、1月居ぬ月、二月逃げ月、三月去る月と言って、季節は移り、すぐに4月になってしまう。三寒四温だ、桜の開花だと言っている間に季節は新緑の5月を迎えすぐに梅雨になる。これで一年の半分は終わりだ。
寒いとか、暑いとか言うのはよそう。冬は寒いのに決まっている。夏は暑いのに決まっている。
日本人は季節を二十四節気(にじゅうし・せっき)に分けた。源流は中国であるが、日本人ほど四季を言葉にする民族はいないのではないかと思う。二十四とは一か月を二つに分けて区分けをしている。雨も季節ごとにたくさんの名前がある。
二十四節気ではまもなく大寒を迎える。一番寒い時期だが、もう寒さは底であり、これから温かくなりますよという節気でもある。大寒の次は立春。2月の初めだ。
話は少しだけ変わる。
さる女性の大学教授が、このまま円安に進めば日本経済は石油など輸入製品の価格が上がって大変なことになると言い放った。さらにインフレになれば年金生活者のような弱者は生きていけなくなるとおまけをつけた。
日本は円高とデフレで苦しんでいるのではなかったのか。寒くなれば寒さのマイナスを語り、暑くなれば暑さの欠点を語る。こんなのは日本人の姿ではなかった。
日本人は自然を愛し、自然と共生し生きてきたはずだ。
寒いとはどういう事か、暑いとはどういう事か、私たちは宇宙のどこに住んでいるのか、日本人は地球のどの緯度経度上に生きているのかを哲学してみればすぐにわかる。
どんな物事にもプラスとマイナスがある。何を選択してもだ。必ずプラスとマイナスがある。すべてをプラスと考えていく人は前に前に歩むことができる。
寒いとか暑いは当たり前のことで、何かをやらない理由になんて絶対にならないのだ。