哀れ蚊は太宰治が創った造語らしい。私はさだまさしが描いた名歌「晩鐘」で哀れ蚊という言葉を知った。見るからに弱々しい、人を刺す力もない蚊とWEBLIOというネット辞書には書いてある。
今日、私は庭にでた。我が家には2本の梅の木がある。その一本に一つだけ花が残っていた。それがこの花である。私はこの花に「哀れ花」と名前を付けた。
この山茶花も哀れ花であった。山茶花は昨年の11月にはたくさんの花をつけていたが、もうこの花しか残っていない。
モクレンも哀れ花であった。
海棠の花は満開であった。ささやかな我が家の庭にも春は訪れている。花に哀れも何もない。花は一時一所を生きているだけだ。
今日は寒に戻ってしまったかのような肌寒さであったが、私はベランダに置いてある椅子に座って、花を見ながらiPadを取り出して音の良いイヤフォーンで聴いた。
日本の歌は島の歌だなとつくづくと思った。演歌でもJPOPでも、どこかに海の音が聞こえる。欧米の歌は草原を駆け抜ける大陸の音楽だと思った。
いつも聴きなれた音楽がイヤフォンの外から聴こえてきた。携帯電話の着信ミュージックであった。その電話はお客さまからで、私は会社に出なければいけなかった。