最近つくづくと思う。人は、いや、あらゆる生物はINとOUTの出入り口を持った空間の中で舟に乗って流れていくだけだと。
1987年、喜納昌吉に勧められて読んだラジニーシの「存在の詩」には頻繁に「流れる」が出てきた。私はこの思想が危険な香りに満ちていることを直感的に嗅ぎ取って再読しなかった。
喜納昌吉は、「流れる」にヒントを得て名曲「花」を作詞作曲した。
私は「流れる」が「漂流」であってはならない思い自己の意志でいくつかのヒントをつかんで実践した。それは専門的であること。経験を積むこと。そして常に原理原則的であること。ヒントはこの三つである。そして本質は、「いまを生き、何があっても前に進む強い心を育てること」である。
それでも最近、人は舟に乗って生から死に向かうまでに横たわる空間を流されているのではないかと思うようになった。人間がどうにもならないもの。それはINからOUTに向かって流されていくという事実だ。
人は一隻の小舟に乗って流される。この間にもう一隻の小舟を探し、流されながら命のリレーを行う。新たに生まれた小さな命は実は別の小舟に乗った命である。両親が手塩にかけて育てても、子供を乗せた小舟はこの空間を流される。
二隻の舟は、ミー様のアルバムEast Asiaの一曲である。
ミー様はユーミンと比較される。ユーミンは時が持つ一瞬の輝きをスライスしてしてみせるのに対し、ミー様は時の流れを神の視点で時に人を勇気だたせ、ときに人を突き離し俯瞰的に見せてくれる。
そのミー様は、「私たちはひとつずつの、そしてひとつの二隻の舟」と唄う。
この短いフレーズに人間の寂しさと、人間は絆と名付けた関係性こそが強さの源であると表現している。
最近、NHKの「100分de名著」に啓発されて「夜と霧」を読んだ。
アウシュビッツの捕虜収容所を経験した作家は、人としての存在をすべて失い、自分はただの番号でしかなく、明日ガス室に送り込まれるかもわからないという極限の世界で、生き残った人たちは明日に希望を持って生きていた。それはこんな自分でも、これからでも誰かのために役に立つことがあるという希望だとわかると記している。そしてこの希望は誰にも奪うことはできないとも記している。
私の好きな室生犀星の晩年の詩にも、まだ私を必要としている人が未来に待っている。私を待っている人のために私は希望を持って生きていこうと決意するという意味の詩がある。
ミー様は、一人ひとりは一隻の舟に乗って荒波を流されているが、絆ができれば、ひとつの二隻の舟に変わる・・・と唄う。
昌吉は、川は流れてどこどこ行くの。人も流れてどこどこ行くの。そんな流れのつくころには、花として花として咲かせてあげたい。泣きなさい。笑いなさい・・と唄う。
犀星は、まだ私を必要としている人が未来に待っている。ここに一縷の希望を見出して生きると唄う。
夜と霧の作家フランクルは、考えること。生きる目的を持つことが生き残る唯一の道だと解脱し奇跡の生還を果たす。どのような過酷であろうとも、毅然とした態度をとり、一瞬を大切にすることだと「100分de名著」では出演者が語っていた。
結局一隻の舟で時を流されていく間をいかに生きるかに集約されている。答えは人との「絆」であり、自身の「哲学」をもつことであり、「深く考える」ことであり、「希望」を失わないことであるという帰結になる。
私は一隻の小舟に乗って流されていることを自覚する。すべてはこの自覚から始まる。ここを省くから人は悩む。孤独に耐える力を持つことだ。
私はそれから過去を振り返り、どのように流されてきたかを深く考える。深く深く考える。そして流されながらもどのような夢を持ち、希望を持ってきたかを考える。そしていまを知る。これからいかに流されていくかを考える。
考えることはフランケルがいう希望である。
ただの夢や希望ではない。誰にも奪い取られることがない希望である。この先、私を必要とし待っている人がいるという希望である。運よく私は、専門的な仕事に着し、経験を積んで、そして原理原則を考える癖をつけてきた。こうした経験を積めば、これからさき私を必要とする人に出会うことが可能になる。
私は二隻の舟をたくさん持っている。私の仕事をリレーする一隻の舟。私の思想をリレーする一隻の舟。私の想いをリレーする一隻の舟。
それだけではない。私たちの一隻の舟にならなかった一隻の舟。私はたくさんの二隻の舟のことを考えている。
やがてはOUTしていく私の小舟は、流されながら考え続けている。