近所に住んでいた人が、わが家から歩いて10分くらいのところに引っ越しをした。その夫人に子供のようにかわいがっていた犬がいた。性格はよく頭もよいキャバリア犬だ。
夫人が脊髄の中に食い込んだ大きな腫瘍を取り除く手術をすることになった。後遺症の症例を聴くと思わず大きな溜息が出るようなものであった。
夫人が我が家を訪ねてきて、愛犬をしばらく預かっていただけないか。必ず元気になって引き取りに来ると言って涙を流した。万一のことを考えて愛犬の未来を我が家に託した上での決断であることはすぐにわかった。
旦那は10年以上も前に脳出血で半身不随となりしかも言葉も失った。夫人はその旦那の面倒を甲斐甲斐しく見ていた。「夫のことは娘がいるから安心しているけれど、この娘だけが心配で」。夫人は7歳になる犬の顔を頬ずりをして撫でた。
我が家は二つ返事でこの話を受けた。思い余っての相談であった。それが昨夜のことである。
犬は、目が充血して落ち着かなかった。庭に出すとすぐに自宅の方向に向かって庭の中を走り、庭の北西の場所から動こうとはしなかった。なぜ方向が分かるのだろう。人知を超えた能力が生き物には備わっているのだ。だからその位置にいて動かない。
今朝は少しは落ち着いたのかもしれないと、庭に出すとまた自宅の方向に一番近い場所へ走って行って壁を乗り越えて自分の家に帰ろうとしていた。こんな話は夫人にはできない。号泣するに決まっている。それに夫人はけさ早くに入院した。
惜しげもなく愛を注いだ夫人と、その愛を受けて育った犬との絆に、入る余地はない。我が家は時間を掛けて犬との関係を深めていくしかない。
夫人が退院して戻ってきたら、犬の面倒を見るのは大変だからもう少し預かろうと言わずに、すぐに返してあげなければいけない。今度は犬が夫人に愛を注いで後遺障害と闘う夫人の傷を直していく。
時間はあらゆるものを乗せて流していく。夫人も流れている。犬も流れている。流れながらも絆が人と犬の心をつないでいる。かくいう私も流れている。皆が宇宙と同じように流れている。太陽系も流れている。太陽系を含んだ銀河系宇宙も一定方向に流れている。銀河系以外の宇宙もどこかに向かって流れている。
何が流れているのか。命が流れているのだ。流れた一瞬に見せた命と命の絆。人間の喜怒哀楽はここにある。絆は希望によって繋がれている。けれども人は流れている。希望は時間によって打ち砕かれ、希望は時間によって成就する。
どちらが先か。生き物は常に時間と闘う。成就が先か、カウントダウンが先か。どちらが先か、時間が先か、成就が先か。