最近は思惟することばかりだ。わずかなことが思惟することによって自然の摂理につながっていく。仕事でも思惟の連続だ。考え抜いて定義する。
私は、仕事先のお客さまと会食をした。私よりはるかに若い人だが、その思惟の深さと思惟することと、行動とが一致していることに驚嘆した。この人から、生涯を超えて付き合いましょうと申し出があった。生涯を超えてとは、どちらかが死んでも残った方の心の中で生きているということだ。
この人は言動が一致している。それは思惟に基づいている。重い人ではないが軽い人ではない。浅い人ではなく、深い人である。決して無責任ではない。
この人と似ている人がいる。現代文学の重鎮と言われている佐藤勝先生だ。佐藤先生は、私に経験こそがすべてですと言った。経験に勝るものはないと言った。
船越圭の彫刻を見て、この作家は永遠を求めている。この具象性こそがすべてを物語っていると瞬時に読み解いた。
私が奄美大島に旅行に出ると言ったら、島尾敏雄に関するどんなものでもいいから撮影してきて欲しい。わざわざ探すことはない。偶然でいいのですと言った。私は島尾敏雄の跡を探すことを旅の目的として奄美大島を歩いた。
京都生まれの田口さんが奄美でガイドをしていた。田口さんにこの話を告げると、彼女は持ち前の行動力で、通常ではあり得ない島尾敏雄の跡を探した。島尾敏雄が勤務した図書館、住んで居た家、やがて結婚をする加計呂麻島の大平ミホが教員をしていた学校、大平家の屋敷跡、大平家代々の墓、敏雄とミホが逢瀬を重ねた岬、特攻隊の基地跡地、島尾敏雄、ミホが分骨されて眠っている墓地、島尾敏雄が通っていた教会、ミホの葬儀をした教会、敏雄の死後、ミホが暮らしていた住宅・・・。偶然どころか島尾敏雄オンパレードのような写真を撮って佐藤先生に送った。
折り返し、返信が来た。島尾敏雄の文学について話しますから遊びにいらっしゃいと。
この佐藤先生と同じ思惟の仕方をするのが、上掲した人だ。
この人は、普通の対話で返す話言葉がそのまま書き言葉になっている。しかも用語一つが見事に整理されて適切である。こんな人はめったに会えることではない。会食したその余韻はいまでも残っている。
私は、いろいろなジャンルの思惟を続けている。生きてきたことを体系化してみたいと思いが出ている。小説にしたいと思うこともある。しかし今はつくり上げた仕事を世に広めることが最優先だ。だから淡々とぶれないで仕事を続けている。
思惟とは哲学の入り口だ。
軽井沢の若い友人が、美輪明宏のヨイトマケの歌を聴いて感動した文を寄こした。私は命が連綿につながっていると感じていると、その文に返事を返した。
彼は日本の古き建築方法に思いを寄せ、土壁工法などで家を建てている。彼は土壁工法に戻り、今度は藁を押しつぶしたものと粘土を混ぜて土壁の断熱効果を増すと挑戦している。エネルギーが枯渇し文明が行き詰ると、人は自分が分かる場所にまで戻るものだと思った。
思惟を続け、アルゴリズムを発見し、自分の課題を解決したと語ったら、上掲の人は、数学は哲学です。哲学から入るのが本当の数学の使い方ですと、さらりと言った。
私は、人に出会った歓びに震えるようにしていま仕事をしている。思惟することは思考を変え、行動を変え、結果を変えていくことになる。損得の結果ではない。事象を整理できることで生まれる知的な歓びのことである。