ソムリエの加治さんからワインのプレゼントがあった。
電話で御礼を伝えると、「服部さんのイメージはピノノアールですから、シャブリの畑近くにあるちょっと手頃でだいぶおいしいピノを見つけましたので」と、少しだけ弾んだ加治さんの声を聴くことができた。
藤村俊二さんが青山にワインレストラン「オヒョイズ」を開いて経営していた。ワインも一流、料理も一流。内装は本格的なもので材料から職人まで英国からやってきて、それはそれは本物の英国空間をつくっていた。ワインの種類も、料理も、内装も、テーブルも椅子も、サービスもそして備え付けのピアノに至るまで藤村さんらしいこだわりある仕方でまとめられていた。
私は美味しいワインを飲みたくなると「オヒョイズ」を訪ねた。加治さんはオヒョイズのソムリエであった。
ブドウのバッジをきらきらとさせてうんちくを語るそこらのソムリエとはまったく違うソムリエであった。うんちくは一切語らない。葡萄バッジも付けない。ワインの趣向は顧客に合わせる。顧客に請われない限り自らは薦めない。いつもにこにこ。そう、いつもにこにこ、最高の笑顔であった。笑顔だけではない。表情も態度も一流のソムリエが持つ素晴らしさを身に付けた最上等のコミュニケーション手法を持って対応してくれた。
私は、ブルゴーニュワインで学んだために、重いボルドーの味がなじまず、そのうちワインを飲む仲間ができて、ジンファンデルとかシラーとか、うんちくをさんざ聴かされたが旨いとは思わず、ブルゴーニュのピノに刷り込まれてしまった結果、うまい赤ワインはブルゴーニュのピノに限るということになってしまった。いまから考えればバカの一つ覚えというやつであった。
加治さんにもピノでおいしいやつありますかと注文をしていたので、服部さんはピノのイメージですからとなってしまったのである。
その後、カルフォルニアのオーボンクリマを知って加治さんにその話を言ったら、とっておきましょうとなった。オヒョイズが一本だけ注文することができなかったのだろう。一箱とりましたからメニューに載せず服部さん専用ワインにしておきますねとうれしい加治さんの言葉があった。
加治さんの配慮で、私は佳店オヒョイズで専用ワインを持てる身分?になった。オーボンクリマもピノであった。
藤村俊二さんは14年間オヒョイズを経営したが、自分の誕生日に・・・・・、たしか2009年12月8日だったと思う。ファンにとっては宝石のような店を閉店した。内輪のお客さまだけで最後の夜を迎えますので服部さんぜひ来てくださいと加治さんからお誘いの電話があったが、私は12月8日の予定がすでに入っていてこの機会を逸してしまった。私はこうして、とっておきのワインが飲める店を失った。
加治さんはその後に英国のウイスキー醸造所を訪問してからヨーロッパ大陸を西南下して各国のワイン畑と醸造所を3か月も歩いた。加治さんは行く先から写真を送ってくれた。上の写真はハイランド地方にある密造酒をつくっているかのようなLoch Ewe(ロッホ・ユー)蒸留所。(掲載写真2点とも撮影は加治 崇氏)
いまから32年前、私が初めて飲んだアイラ島のボウモアが、もしかしたらサントリーがやったのかもしれないけれど、西麻布に店を出していて、透明なウイスキーがシェリー酒の樽に仕込むことで色が付く話などを実物を見ながら聴いていたものだが、私のこんな生半可な知識ではなく、加治さんはビートを焚いて香りを付ける北英国ウイスキーの全醸造所を自分の足で訪問し、醸造所の人と話をして、酒を口に含み、味と香りを確かめ、比較し、本質に迫ろうと探求している「筋金入りの酒のプロ」なのである。
しかし、そんな経験はおくびにも出さない。絶対に出さない。自分自身がきれいさっぱりと忘れているのではないかと思うくらい見事に口にしない。ただただにこにこして人懐っこい笑顔を振りまくだけなのだ。
口にはしないけれど、「シャブリの畑の近くにあるピノで・・」という発言は、加治さんがシャブリの畑を実際に訪問して、その近くにあった畑であることを経験しているからひょいと出る言葉であって、何気ない会話にプロたる片鱗が見えるのだ。
その加治さんから、昨日頂いたワインのうち一本は当日来社した知友と二人で空けた。加治さんを思い出しながら開け、知友に加治さんの話をしながら空けた。8℃くらいに温度を下げて2時間前ほどに開栓し、2時間は水に氷を混ぜて冷水で瓶を包んでおいた。飲み始めるとわずかな時間でワインは開いて、ピノの香りがしてきた。
加治さんは、私とまったく真逆な生き方をしている。私は社会に役立つとか、知恵を書いて出版するとかそんなことを考えるけれど、加治さんは知恵を本にするとはまったく考えない。知識や自分の経験を振りかざさない。ソムリエの資格も振りかざさない。その代り加治さんは自分の周りにいる人を本当に暖かな心に変える。
私はいつもにこにこして接してくれる加治さんを自然と敬っている。それは加治さんが目では見えないところを磨き上げているからである。それを私が知っているからである。そして何よりも加治さんは他人にやさしく自分に厳しい人だからである。
加治さんからの贈り物はワインであってワインではない。ワインではないけれどワインである。
その夜、私はワインを飲んだ以上に酔って帰宅してから、室生犀星が書いた詩を口ずさんでいた。
「逢いて来し夜は」
室生犀星
うれしきことを思ひて
ひとりねる夜はかぎりなきさいはひの波をさまり
小さくうれしそうなるわれのいとしさよ
やがてまた
うれしさを祈りに乗せて
君がねむれる家におくらむ