交差点手前にある停留所で止まったバスのドライバーが発進したらすぐにおもいきりブレーキを踏んだ。黒い乗用車がバスの行く方向を遮るようにして横切り、左折したのが原因だ。立っていた人は大きくよろめき、金属の棒に指や腕をぶつけた人もいた。
突然に「いたいよ。痛いよ。腕の骨が折れたよ」と泣き叫ぶ幼女の声が車内に響き渡った。幼女だと思ったら泣き叫んでいる正体は大人の女性であった。老人ではなく50代のようであった。
次に「何やっているのよ。救急車を早く呼んでよ。痛いよ。いたいよ」とドライバーに大声で叫んだ。バスが止まって、皆が下車しても、歩道で痛いと叫ぶ声は衰えなかった。それでどころか119番に電話する運転手に向かって体当たりでもするかの勢いで「何やっているのよ。痛いよ、痛いよ、骨が折れたよ」と叫んだ。
このシーンは社会の縮図だと私は思った。
泣き叫んだ人の遺伝子がそうさせているのか、泣き叫ぶことで得られる権利が大きくなった経験をして育っているのか。
静かに検査を受けて、骨折か、単なる打撲か、打撲以下かをジャッジしてもらい、適切な治療を受け、回復後に保険会社と示談することが大人のしぐさである。
私の横にいた女性、60代前半かな。彼女は指を押さえていた。あきらかに腫れていた。
「救急車に乗って病院で治療を受けたらいかがですか?」
彼女は、「これくらい大丈夫です」。と言った。
「いまは緊張していますから、痛みは感じませんでしょうが、やがて痛みが出てきますよ」。私はおいかぶせるように言葉を継いだが彼女は「大丈夫です」とまた言った。
きっとこの人は我慢することを知っているのだろうと思った。