みなとみらいにある横浜美術館でプーシキン美術館展をやっている。この日、いつもより1時間30分ほど早くオフイスを出て仕事先に向かった。横浜美術館の隣りにクライアント企業がある。1時間半もあれば十分に鑑賞できるのかと思ったのが甘かった。
後楽園駅から各停でゆっくりとみなとみらいに行ったら30分ほどロスが出た。それから逆算すると昼食、訪問先までの徒歩時間を含めて1時間しかなかった。
ということは30分で美術展を見なければならなかった。それでも意を決して美術館に入ったらチケットを求める人々で行列ができていた。ロビーの混雑も半端ではなかった。
黒いビルがクライアント企業のビル。薄茶色の低層建物が横浜美術館。私は昼下がりの熱い日差しを浴びながらどうするべきかと立ち尽くした。
今日は13時から17時まで連続したプロジェクトがあった。食事をしないと集中力が持たない。走って絵を見ても見たとは言わない。そもそもたくさんある絵を一点ずつ全部見ることも苦手だ。
私は好きな絵を見つけてそれだけを見たらあとは見なくてよい方だ。30分あれば一点くらい気に入った作品があるかもしれない。しかしすぐ後ろにプロジェクトが待ち構えている。
という訳で立ち尽くしたあと、プーシキン美術館展をやめてクライアント企業に向かった。
空振りプーシキンだと思ったら笑った。本当に見たかったら開館時間に間に合うようにくるべきだと思った。きっと美術館で絵を見るのが好きではないのだろう。これが私の本音である。私が美術館を訪ねる時は、いつも時間がたっぷりあって、後ろに予定を入れなくて、しかもあの絵が見たいと思う時である。
立ち尽くしたのは、時間を費やすためにそうしたのであって、見たければ立ち尽くすはずはないのである。
京都博物館で若冲展があり、わざわざ一泊で訪問した時も、あまりの出展数の多さに圧倒されて早い足取りで歩きながら見て終わりにしたし、マチス展があった時も量の多さに同じく圧倒されて走り抜けたことがある。
暮らしの中に絵があると、絵と共に生きて、絵を背景にして暮らしているので、ケースの奥にあって厳重な見張り番が監視している中で遠くから眺めることはどうも好きではないのだ。
だから私は、マチスの100号くらいの絵をみると、この絵を家に置いて絵と共に暮らしたいと夢中に思うことがあるが、美術展となると、どうも苦手なのである。
会期は9月の中旬まで続くが、印象派の代表的な作品はものすごい数を見ているし、地方都市に行けばメイン美術館はほとんど見ているし、広島美術館のように好きな絵が決まっていて、その絵を見るためにだけ訪ねているし、まあいいか!とする働きが本音である。きっと。
好奇心が失われたのでは困るけれど。老化現象なら困るけれど。・・・・・・・・。