この仕事を初めてすぐに福島市に隣接した伊達市にある会社のコンサルティングを行ったことがある。
いまから30年近い昔である。
この会社の専務は冨田さんだった。先祖は豊臣秀吉時代に四国宇和島城主であった。関ヶ原の戦いで西軍に就いたがために伊達の地に入封された。
冨田さんは、戦国武将のような人だった。敵か味方かで人を分けた。この分け方の基準は正義感であった。私欲は一切なく、乗る自動車はボロボロ、着る服もお構いなし、食べ物も何でもよかった。正直で、豪快で、無私で、とにかく人の面倒見が良かった。
冨田さんのクルマで福島県全土を何度もくまなく走った。浜通りでは蝦夷穴が庭にある広い土地の主を訪ねたことがあった。蝦夷穴とは縄文人が暮らしていた穴である。穴とは誤解を招く。10メートルくらいの岩盤を高さ4メートルくらいで奥深く削り、それは広い空間である。
浜通りから中通りに抜ける道は、紅葉の時期に走るとあまりの美しさに息を飲んだ。広大な広葉林が色づくとそれは見事なものだ。
桑折とか、国見とか、いまでもなんなく地名を思い出すことができる。会津もよく行った。会津には知り合いもたくさんいて、私が行くと美味い豆腐を用意して待っていてくれた。
なぜ時折福島を思い出すのだろう。30年前の出来事なのに。