安倍総理のプレゼンテーションは大うそであったという意見はおおかた脱原発派のものだ。新聞でも脱原発派はそう書いているしネットでも同じだ。
私はうそだとは思わない。総理は開催地である東京に影響はない。汚染水は7年後までに解決することを政府として総理自らが保証する、プールの中は基準値以下であるし、外洋はもちろんそれ以下であると現時点での事実を述べている。ここにうそはない。
政治家は希望を語り、目標を語り、それを現実のものにしていく。その結果だけが国民から問われる。そういうものだ。
安倍総理は正しいプレゼンをした。委員も日本ならやり遂げるだろうと安心したに違いない。
大ウソとの主張は余りにも偏狭的な感情論だ。大ウソというどこかの名誉大学教授は日本を独裁国家といい、総理の発言は刑法何条に当てはまるなどと言っている。日本は国民の選挙によって議員を選ぶ民主国家であって、子や孫に権力を移譲するような独裁国家ではない。
私は時折考える。
日本が中国と朝鮮半島との真ん中にある大陸国家だとしたら、中国も韓国も原発を増やしている現状で、日本だけ脱原発と言い続けることができようか。
総理が、原発汚染水の質問に、もしも「私にはわからない。汚染水処理の解決方法は分からない。将来を約束することはできない」と答えたら、マスコミからひどいバッシングを受けるだろう。
私は希望的あきらめ派だ。地震多発国にこれだけの原発がある。廃炉をしても最終処理に10万年掛かる。将来、科学が進んで10万年が10年で最終処理が終わるようになるかもしれない。これが希望だ。地球温暖化が進み、豪雨、竜巻が頻繁に発生するようになった。
エネルギーを捨てるなら人間は都市から離れ、自然に帰るしかない。自ら畑を耕し、地下水を吸い上げ、自給自足の文化的生活をすればよい。そう生きる人はいる。しかし多くは都市で文明を享受している。文明はエネルギーなしには存続しない。鳥瞰的に考えるとこうなる。
それにしても10万年も貯蔵するとはとても理解できることではない。原発を使えば核のゴミは溜まる一方だ。どこでどのように10万年も保存するのか。人類が続いていたとしても、核のゴミを開けたりしないだろうか。10万年後も同じ言語なのか。私が希望的あきらめ派の諦めとは10万年そのものを指している。10万年という数値が正確か、誤ったものか立証は誰もしていない。しかし半減期を繰り返すと10万年掛かるという計算が正しければ、もうそれは最悪だ。
けれども安倍総理が、あの席でこんな鳥瞰的な話をすることはできない。IOC委員は、7年後に放射能の心配なく開催できるのかという質問なのだ。一国のリーダーとして最適な回答であったと私は思うのである。