現代の美術の世界は何を表現しても芸術だとみなされ一つの美の基準を失った。混とんとした状況にあるのではないかと思う。(節子夫人)
芸術家は個性ばかりを打ち出して絵画を自己表現の手段とした。偉大な絵画は普遍性を備えていなければならないのに。私は絵画に失われた普遍性と無名性を取り戻したいのだ。(バルテュス)
バルテュス夫人節子さんの努力で、バルテュスの作品が40点も集まった展覧会が上野の森美術館で開かれている。これほどの作品が一堂に集まることは日本ではないだろう。
猫と鏡が日本にきたときにこの絵を一目見てファンになってしまった私は、先週の日曜日に朝9時には家を出て駆け付けた。
美には基準がある。バルテュスは基準を古典から学び自分のものとした。基準があるからいつも基準に沿って絵を描くことができる。基準と照らし合わせるからいつでも制御ができる。基準とは長く続いてきて、風雪に耐えて残ったものだ。バルテュスは14世紀からいまに残って美しいと称賛されている古典から美の基準を確立した。そして絵画を自己表現の場にしてはいけないと言った。バルテュスはこれを無名性といった。
私は非常に共感した。
私も仕事のやり方をバルテュスから学ぼう。