軽井沢の森は、うすばしろが乱舞し、エゾ春セミの鳴き声がシャワーのようであった。
5月31日、仕事に出る気で朝を迎えた。自宅でiPadを開きニュースを読もうとして何気なく道路交通情報アプリをタッチしたようだ。よくみると渋滞がない。というわけで週末出勤は中止し、一人でクルマに飛び乗り、軽井沢へ出かけた。
目的は三つ、一つはうすばしろ蝶を見に行くこと、二つはエゾ春セミのシャワーを聴きにいくこと。三つは森を響き渡る郭公(かっこう)の鳴き声を聴きに行くこと。追分の蕎麦名店「きこり」で冷たいそばを食べることがおまけについた。
南ヶ丘の森は、うすばしろ蝶が乱舞していた。正確には乱舞ではない。求愛活動だ。オスは梢の先や草むらに隠れるように止まっていて、メスが来るとさっと飛び立って交尾を求める。メスを追いかけるオスこそが乱舞の正体だ。
エゾ春セミも同様だ。成虫になっている短い期間中に求愛活動をして子孫を残す。一説ではセミは鳥の大好物なので一斉に鳴いて鳥を錯乱する戦略なのだそうだ。
人間はいつでも生きているが、蝶やセミは成虫として生きている期間が限定される。どの森でも求愛活動が繰り広げられている。鳥も虫も5月は求愛行動の時期なのだ。
軽井沢ゴルフ倶楽部が所有する原生林のような森から、郭公が鳴いている声が聞こえてくる。私は折り畳み式のイスをクルマのトランクから出してこの森で時間を過ごした。
この紅葉も子供のような若木であったが、もう私の背丈を超えている。
この山蕗は年々領地を広げている。もちろん食材になる。
私は森から出てクルマに乗る前に再度振り返った。私がいてもいなくてもエゾ春セミはメスを呼び、郭公もメスを呼び、うすばしろ蝶はメスを追い回していた。
この森には本当に小さな山ガエルがたくさん棲んでいる。もうすぐ背が伸びた草にたくさんの卵を産み付ける。人間の目では気が付かないほどの小さなカエルを狙って山かがしやジムグリがやってくる。蛇が棲む森は生態系が正しく保たれている。健全な森ということだ。
山かがしやジムグリは本当におとなしい蛇で、私の足音を感じて怖さのあまり固まっているのだ。ジムグリの幼蛇はオレンジと黒色が混ざっていて知らない人が見たらさぞかし怖いだろうが、習性を知れば怖いことはない。これも地球に生まれた一つの命なのだ。人間の腹部あたりのDNAは蛇と一緒だそうだ。
以前、北海道積丹半島の宿に泊まった時、目が覚めると部屋の中に縞蛇がいた。この時は驚いた。窓の戸を開けてやると蛇は必死に逃げた。
以前、奄美大島で夜間、前のクルマが急停車し、運転手が出てきてトランクからハブ獲り棒を取り出した。急停車したクルマの前には小型のハブがいたが、ハブは必死に逃げていた。必死であることが伝わってくる筋肉をフルに使っての上体を起こした逃げ方であった。捕まったら4000円で売られてしまうことを知っているかのようなハブの逃げ方であった。
この森には定期的に雉(きじ)が見回りに来る。俺の縄張りという訳だ。小さな森だけど、ここは宇宙とつながっていて小宇宙が繰り広げられている。
帰路は下仁田街道を下って下仁田から高速へ上がった。
碓氷軽井沢ICから下仁田辺りまでが下り勾配がきつく、小さなクルマはスピードが出過ぎて怖い。太陽が沈む前なら急峻な山道を下る下仁田街道が楽しい。夜道は真っ暗でいろは坂のような折れ曲がった細い道を下るのは怖かろうと思う。だから太陽が沈む前ならと枕詞が付く。
今日は練馬ICに登ったのが11時30分。帰宅が18時30分。往復386キロの日帰りドライブであった。帰路は高速道路三車線を縫うように快速で走った。シルキーストレイトと呼び名が付いたシングル6気筒のエンジンは、実になめらかでストレスはまったくなかった。