私たちはまたしても異空間に入り込んでしまった。軽井沢は紅一色に染まっていた。
ドウダンツツジは漢字では満天星躑躅と書く。春に小さな釣鐘の花を咲かせ、秋にはまっかに紅葉する。軽井沢条例で板塀やレンガ、コンクリートの塀が規制されている。だから別荘はドウダンツツジの垣根が多い。
この日は小さな雨が降っていた。霧が出て辺りは乳白色になっていた。
内村鑑三記念「石の教会」へ通じる石の道だ。
矢ケ崎川のほとりにひっそりと詩人室生犀星夫妻が眠る墓地がある。室生犀星が愛した軽井沢の地に夫妻は生前この記念碑を建てた。死後、遺族は軽井沢に分骨した。ここには昭和三年、詩集「鶴」に掲載した「切なき思いぞ知る」の詩碑がある。犀星がこの詩を選んだ。もう紅葉が終わって落葉が敷き詰めている。
それから三笠通りに向けて白糸の滝を経て南ヶ丘に戻った。
南ヶ丘は紅い空間になっていた。さらに霧が消えて立ち上っていた。
軽井沢は完全に異界になっていた。私たちは紅い空間に飲まれてしまった。
私たちは迷路をたどりながら妙なところにたどり着いた。
そこは猫町珈琲店と看板があった。
見たこともないストーブで薪を燃やしていた。四足猫ストーブですと支配人が静かに言った。
なにか別の所へ迷い込んだんじゃないのかと、連れがつぶやいた。大きな絵の登場人物は、だれもが猫の爪が描く四本の傷跡を肉体に残していた。
この空間から出ましょうよ。このままいたら出られなくなる。連れの顔は蒼褪めていた。
帰路の道は、いつもの道とは違っていた。濃霧で前はほとんど見えなかった。クルマは止まっているままで道路が動いている錯覚に陥った。時間ではなく空間があるのだと思った。
ようやく碓氷軽井沢ICのランプが見えてきた。
ああ!戻れたと連れは安堵の顔を見せた。異界から脱出出来た安堵であった。紅色空間に酔ってしまった我々は猫の珈琲店で猫の世界に入り込んでしまった。不思議な体験であった。連れはジブリの世界に入り込んだ体験をしたといった。あながち冗談ではなかった。まだ残っている蒼褪めた顔色が、うそではないことを証明していた。