追っている方が主体なのか。追いかけられている方が主体なのか。あなたが主体なのか。私が主体なのかが時折わからなくなる。
私は第一次アベ政権での発言を聴いて、こいつは危険だと思った。何人かの人に話をしたが同調者はいなかった。官僚さえも美しい国とは何かが分からなかった。
戦争を許してはいけないという感情がいつでも心の底辺にある。戦争はすべての地獄を一か所に集めたような悲惨さに渦巻いている。戦場では相手を殺さなければ自分が殺される。衣食住が足りないという最低レベルより数段下のすべての地獄が集まった世界が戦場なのだ。
それだけではなく国民の上に国家を置く憲法改正案が用意されている。しかも緊急事態法という法律が準備されている。総理が緊急事態と思えばいつでも人権、財産権などを制限できる法律だ。徴兵もできるし、ここは基地にするから一週間で立ち退けということもできる。国に金がないからお前の預金のうち1千万円を供出せよともいえる。保有の貴金属を供出せよともいえる。これらは日本でもやってきたことだ。
日本人は日露戦争の勝利が災いして戦争の道に走り、太平洋戦争の敗戦が幸いして民主主義を知った。それから70年。民主主義は根付いた。しかしいまはどうだ。全体主義、国家主義、独裁国家に成り代わろうとしている。
二頭のハツカネズミが回し車の中に入って回し車の中を懸命に走っている。どちらが追っているのか、追いかけられているのかわからない。もしも一頭が回し車から降りてしまったら残った一頭は追った方か、追いかけられた方かが分からない。
はじめから一頭だけなら追ってもいないし、追いかけられてもいない。
追うことによって追いかけられる自分がいる。追いかけられたことによって追う自分がいる。自分はどちらなのか。時折、どちらか分からなくなる。錯覚なのか、疲労なのか、分からない。
ただ、日本国が忌み嫌う全体主義独裁国家に変わってしまうことは許してはいけない。政治家は職業になっているので御身大切で反対できない。自民で堂々と反対しているのは村上氏一人だけだ。他はしない。反対すれば次の選挙で公認になれないからだ。とんでもない話なのだ。
憲法学者が残りの人生を掛けて内閣の悪行と懸命に闘っている。小林先生、長谷部先生は三段階での訴訟を準備していると発表した。
この災いを元に法務省を行政から独立させること。憲法裁判所をつくることができれば喜ばしい限りだ。
明日は10時からびっしりと業務の打ち合わせ。夕方にはソムリエの加治さんが遊びに来てくれる。久しぶりにワイン談義に話が弾むだろう。私はアルザスの銘酒「マルセルダイス マンブール グランクリュ」を準備して待っている。
加治さんは肯定も否定もしない。お客さまに美味しいワインを飲んで頂くことだけを目的として生きている。自分がソムリエだとも言わない。偉ぶることなどもない。ニコニコしているだけだ。
かくいう私は、追いかけ、追いかけられている。追いかけられていることによって追いかけている。
どこかに無理があるのだなと思う。残り時間を意識しすぎているのか。欲なのか。足るを知らないのか。