百日の間、紅い花を咲きつづけるから、百日紅と名前が付いた。哀れな樹木サルスベリ。
サルスベリと徒名がついても百日紅と本名が残る可憐な樹木サルスベリ。
猿が登れずに滑って転ぶからサルスベリと名前が付いた百日紅。
今年も百日、紅い花を咲かせるために咲いたサルスベリ。
百日紅が、なぜサルスベリになったかの歴史を人は知らない。
昔中国南部に美少女がいた。肌は白く、唇に紅をさすと小さな唇の紅色は百日も消えなかった。人々は百日紅と徒名をつけた。
美少女は川で父が採った魚を市場に並べて販売していた。あまりに美しいので男たちが寄ってきて美少女を誘った。美少女には好きな青年がいた。
ある時、美少女の貧しい家に町の商人が訪ね、美少女を妾に欲しいと申し出た。商人が荷車に乗せたたくさんの金子をみて美少女の親は申し出を快諾したが美少女は拒み、とうとう川に身を投げて自殺した。
そのことを知った青年も姿を消した。
少女の死体が浮かび上がった川辺の林に名前の知らない木が生えて紅い花を百日咲かせた。村の人々は身を投げた少女の化身だと言って、木に百日紅と名前を付けた。
季節が何度も変わった。
天気が悪く山は不作で、食べ物を求めてたくさんの猿が村へ降りてきた。木を寝床にしようにも百日紅の木にだけは滑って登ることができなかった。村人は百日紅の木を次にはサルスベリと呼ぶようになった。
この悲恋を一人だけ知っている老婆がいた。
老婆は、美少女が、いまでも小さな唇に紅をさして夏の間中、青年が来るのを待っているのだという。青年は、百日紅の木肌に姿を変えて美少女の紅い唇を守っているのだという。
ついでにもう一つ哀しい伝説を。
韓国の昔、聖徳王が報徳寺に大きな鐘をつくるように命じた。報徳寺の坊さんは村に回って鐘をつくるために寄進を求めた。
ある家庭で、お母さんは坊さんに「我が家はお金がなく寄進することはできません。その代り人身御供が必要なときにはうちの娘を差し出します」と答えた。
坊さんは母親の話通りを寄進帳に書き写して帰った。
大鐘は何度鋳造しても割れてしまい完成しなかった。
お祈りをしたところ人身御供をすれば鐘は完成すると予言が出た。うちの娘を人身御供に差し出すと言った母親の言葉を坊さんは思い出した。
母親は大変に後悔をしたが、約束を果たさなければ村に住むことはできなくなった。娘はエミレー(お母さん)と泣き叫びながら溶けた鉄の中に消えて行った。
人身御供の結果、大鐘は完成した。
いまでもこの鐘を突くと、鐘の音はエミレーと聴こえる。いつしか聖徳王の大鐘はエミレの鐘と名前が付いた。この鐘は慶州博物館の庭に吊るされている。
伝説はどこの国の話でも物哀しい。哀しいからこそ伝説として人々の心を打ち、心の中に残る。人間は自分のことでなければ残酷な話を好む。アンデルセンの童話が残酷なまでの仕打ちを哀しさに包んでいるから世界中の子供に読まれたのだ。
我がオフイスの庭に咲いたばかりの百日紅の花をたまたま持っていたスマホで撮影したばかりに二つの伝説を思い出した。
オフイスは涼しくさわやかだ。大量の除湿水を外に吐出しているからだ。近くに中央大学があって木が多いので鳥が多い。後楽園の森、小石川植物園の森にも鳥が多い。したがって我がオフイスは鳥が良くさえずる。
こんな環境で休日に出勤すると気が緩んで昔聴いた伝説を思い出すのかもしれない。