久々に愛車をブッ飛ばして上信山岳コースを走った。東京は32℃であった。軽井沢では26℃であった。標高1800メートルある、湯の丸高原では16℃に下がっていた。風は冷たく肌も冷たくなった。池の平の湿地帯で高山の山野草を見ようと思ったが、出発が遅れてタイムアウトになった。それどころか17時以降は通行止めになる山岳地帯の道路も通り抜ける時間がわずかしかない。
途中で温泉に入ったのがいけなかった。ランプの湯の温泉は硫黄の臭いがして、しかも源泉は18℃であった。そのうえ入浴料は500円と安かった。夏のプールに入った感じであったがおかげでしっかりのぼせた。30分くらいは入っていただろう。のぼせを抜くのに時間が掛かった。このことが遅れる原因であった。硫黄の臭いが当たったのかもしれない。昔台湾の北投温泉で生卵を茹でていた。温泉は完璧な硫黄泉であったから硫黄臭をまともに嗅いでしまった。その時感じたのぼせ方と似ていた。
クルマは快調であった。走行距離は6万キロになる。一台のクルマに6年も乗ったのは、はじめてであった。バッテリーを一度も交換していないので怖い感じがするがエンジンは一発で掛かる。直列6気筒ツインターボエンジンはどのような山岳地帯であろうと急な坂を一気に登ってしまう。本当に快調である。
おかげで翌日は頭の中が空っぽになった。
家に戻ってからポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』を読んだ。詩は原文で読みたいと思う。訳す人の力量次第で和訳された詩は意味を失うからである。
海辺の墓地は堀辰雄の風立ちぬの題名に使われた一説が含まれている。私は風立ちぬを読んでポール・ヴァレリーを知った。
ヴァレリーの詩は分かりやすい日本語を並べているけど意味を理解するのはむずかしい。ただ、堀辰雄が影響を受けた文体であることに変わりはなく、続いて堀辰雄の弟子であった私の好きな立原道造が影響を受けた詩であることは私にも受けてとれた。
この文体を自分のものにしたいと強く思った。普段は恥ずかしくてとても使えないものだが、いつかは使う時が来ると思っている。
16℃の真夏を憧れて何になるのか。冬は3メートルの雪が積もり、風が吹けば吹雪いて気温は-20℃にも-30℃にも下がるのだよ。
自然界は真夏の2カ月に営みをすべて済ませて残る10か月は生命を細々とつないでいるだけではないか。彼らが命の花を咲かせるわずかな時間を惜しむように、若いころ、私が追いかけたみやましろ蝶やみやまもんき蝶は、県指定の天然記念物になって採集はできなくなっている。
再来週、盆休みが明けた平日に、もう一度風が立って、秋の山野草が咲き乱れる高山の湿地帯を訪れよう。きっと気温は12℃に、季節は中秋になっていることだろう。