アゲハの幼虫が一頭もいなくなった。目を凝らして見てもいなかった。タイルの上を見ると三頭の死がいがあった。驚いたことに死がいを蟻が避けて通っていた。
これは殺虫剤を散布したな。一瞬で確信した。
ランチを食べた後、園芸店に寄って「お宅で山椒の鉢を買った者ですが・・・殺虫剤は噴霧してありますか?」と訊いた。
「もちろんしてありますよ。山椒はすぐに気持ちの悪い害虫が付くんです。しっかりと噴霧してありますから害虫がついてもすぐに死にますよ、大丈夫です」と女主人は笑顔で答えた。
「何の害虫ですか?」
「アゲハです。はじめは鳥のフンみたいでうまく隠れていて気が付かないのですが、そのうち小指ぐらいの長さで人差し指くらいの太さの緑色した芋虫になって、箸でつまもうと触るとオレンジ色した二本の角をぬっと出して、あたり一面が悪臭になるんです」。
私の関心は、蝶が主人公であり、園芸屋の女主人が持っている関心は山椒の木が主人公だ。主体と客体を入れ替えると二つのストーリーが生まれる。
私はこのささやかな出来事で二つのことを学んだ。
私ができることは、蜜のたっぷり入った花を育て、蜜が欲しい蝶に提供することまでであると思い知った。
二つは立場が変わればこれほどまでに意見が衝突することを改めて知った。
それにしても私の記憶の中では食草が殺虫剤が噴霧されていることはなかった。育てようと思ってアクションに出た結果、対象の生物が死んでしまえば、心の中にぽっかり穴が開く。
取り急ぎ私がやったことは山椒の木を、枝葉を水道でよく洗って殺虫剤を落としたことであった。
昼休みに何度も葉を洗い、何日も続けた。その後、またアゲハ蝶が産卵をした。幼虫は一令で死んだ。
山椒の木は元気がない。殺虫剤を噴霧されたせいか、元々病気の木であったのか、わからない。