太陽は南の空に低い弧を描いて沈んでいく。夏の間中、天の高い位置にある黄道に添って地上を照らしていた太陽は、それからわずかな時間で部屋の奥深くまで光を差し伸べている。おかげで陽が沈むまでは部屋中が暖かい。
まぶしさを隠すのはよそう。庭にある三本の高木、二本のハナミズキと一本のエゴノキだが、今年は花が咲かなかった。その理由は庭師の仕事ぶりでわかった。彼らは肥料を決して撒かなかった。枝を落として掃除をしておしまいであった。来年は咲かせてみせると言ったものの決まり手を持ってはいない。
私は冬の昼間は、日差しを受けている。瞳に直接入射するまぶしさは瞳孔の調節を狂わし、目を開けていることも狂わしているのだが隠すのはよそう。光から逃げるのはよそう。
あれだけ心を砕いていた、私にとってのスズメたちはもう姿を見せない。食料の少ない冬場を過ごすには別の場所に移動しなければならないらしい。代わりに大型で尾の長い小鳥が二羽でやってきて咲いたばかりの椿の花をついばんでいる。
地球の自転と公転によって日本には明確な四季があり、四季に対峙した生き物の営みがある。
この住まいには役目が重なり合わない三人の管理人さんがいて邸内は見事に管理清掃が行き届いている。そのうえ住む人たちへのサービスは、一定の間隔を置いて、入って来ず、離れすぎずに、日々ベターなおもてなしを受けられる。
ある時、二つの白い鉢と一つの黒い鉢が土と共にベランダに届けられていて、しばらくしてから「チューリップの球根を植えてみたらいかがですか。春には美しい花が咲きますよ」と管理人さんから声を掛けられた。
私は家から小ぶりの鉢を車で運んで四つの鉢にして合計24個のチューリップの球根を植えた。
こうしてわずかな時間だけ自然と触れ合うことで、私は少しずつ正気に戻り、仕事以外のことも取り戻せるようになってきている。
好きなことだけをやろう。これに徹した人生が一番HAPPYのようだ。どうもそのようだ。どう考えてもその方が心地よさそうだ。