品子さんから電話が入った。「明日には包装して倉庫にしまうので、今日時間があればいらっしゃいよ。大島哲以の大きな絵が見れますよ」。
オフイスがある春日の山頂から、富坂を下り、真砂坂を登って湯島の坂を下る途中が羽黒洞である。
美術館から戻ってきたばかりの絵が散乱と言っては失礼だが、何枚も立てかけてあった。
けもののまつり
この絵もあったが大きすぎてカメラには部分しか収まらないので画集から撮った。
羽黒洞で撮った画像は上記のとおりだ。大島哲以の師匠は日本画壇の名匠中村貞以だ。ジャンルは日本画家である。ランプの中にある男性の顔が大島哲以だ。自画像である。
この絵は200号の反戦絵画から部分を切り取って撮影したモノ。他にもたくさんあるのだが、引きがないし光が適切ではない。
画集には多くの人々から賛辞をいただいているが誰一人として適切ではない。本人を知っていても絵のことはわからないのだ。美術評論家もあてになるものではない。大島哲以を趣味として研究してみようと思い至った。
羽黒洞に1.5時間くらいいたのかなあ。それから品子さんともう一人いた男性と湯島でそばを食べて自宅に帰った。
幻想絵画系の草分けとなった大島哲以が無名時代の1962年、品子さんの父、木村東介氏に見いだされて支援を受け続けていたという。
品子さんの話だと毎月20万円の仕送りを続けたという。1965年に、私の初任給が2万円を切った時代であった。
そんな話を聴きながらそばを食べていた。