昨日は日曜日であった。近所の人が自宅の庭に咲いた桜の枝を一折りして持ってきてくれた。
早速にダイニングテーブルにある花瓶に刺した。桜色の色素が抜けた真っ白な桜であった。
昨日はよく休んだ。休みながら北の友を考えていた。
友は、一般びとではなかった。彼は人生の中で真実を求める人であった。その思想は哲学的であり、行動を伴っていた。真実人、哲学人、行動人であることが彼の本質であった。そうして哲学と同時に行動の背景は美意識であった。美意識が友を突き動かしていたのだ。その考えて哲学まで昇華させた。真実を求めるためにである。
行動が伴わなければどのような意識も絵に描いた餅になる。行動があるから評論の対象になる。
私は単なる評論家で、彼の人生に対しては傍観者に過ぎない。
だが、傍観者だからこそ見えることもある。
でもここは軽く伝えよう。
やったね!