娘と孫を引き連れている祖母の姿に心を惹かれた。祖母は、窓に映る風景を指さして大きな声で孫に話しかけている。孫はそれに答えている。トラムが新庚申塚駅に到着すると、祖母は立ち上がり堂々と歩いて巣鴨のお地蔵さんへ向かっていった。
私は前夜、帰路のトラムの中で新古今和歌集を読んでいた。
藤原定家の「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦のとまりの 秋の夕暮れ」は、私の死生観によく似ていたと思っていた。
けれども、トラムに乗った祖母の堂々さよ。娘と孫を引き連れて宗教家のような自信に満ちた顔つきで、幾分曲がった腰を立てて、歩いている女性に、このような概念が入り込む隙間は見えなかった。
女性は現実に生き、男性は概念に生きる。女性は両足で概念を枯葉や木くずのように踏みしめて娘と孫を引き連れ、お地蔵さんに向かって歩いていった。