ランチを共にする予定であったが、客人は急用とかで午前10時過ぎには帰ってしまった。ぽっかりと時間が空いたので空を見ると久しぶりの快晴であった。スマホで軽井沢の毎時天気をググると、東京と同じ、ここも快晴であった。
そうだ。脇田美術館へ行こうと心が湧き上がってきた。すぐに上野駅に向かった。
金沢行きのはくたかは、すべて満席.あさまも1時間ほど待たなければいけなかった。車内は外国人観光客が多く、中国語が飛び交っていた。
軽井沢にある脇田美術館は紅葉の中にたたずんでいる。
過去に何度も訪ねた美術館であったが今回はわけが違っていた。テーマのコンセプト図面ともいえるモチーフが書いてある水彩画を入手してから、脇田和画伯の図録を何冊か手に入れ、読み解いたこともあって、画伯の絵を2時間もかけて各々の作品に集中したのである。
脇田和画伯は17歳でドイツに留学、国立美術学校で解剖学から入る、いかにもドイツらしい絵画の学び方をした。若き頃に描いた人体クロッキーを見ると筋肉がしっかりと描かれているのは、解剖学を学んだ成果である。
鳥シリーズは、「守るべきもの」を「おぞましきもの」が狙っていて、鳥が、おぞましいものと闘いを挑む姿を描いている。そんなテーマを脇田和画伯独自の色彩を使って童画のようにほのぼのと仕立てあげている。上のパンフレットは脇田和画伯独自の赤色である。
脇田和画伯は、軽井沢のアトリエにつなげて美術館をつくることを思いたち、建築家の吉村順三と共に脇田美術館を建築。1970年から晩年までを軽井沢で暮らしたのである。
しかし、その美術館も年間を通して開館しているわけではない。上のパンフレットで分かるように、今年は11月18日から休館し、来年は6月ころに開館するという。
脇田美術館に行こうと思い立たなかったら、来年の6月まで待たなければならなかった。
脇田美術館の中庭に出てコーヒーを飲みながら、集中したための疲労感をいやしていた。透明で清涼な11月の風が体の中を吹き抜けていた。
もう一度戻って絵を観たいと思ったが、それは次回の楽しみにしておこう。
それから私は、万平ホテルの方向に足を向けた。万平ホテルの裏手にある「幸福の谷」を見るためであった。
歩きながら脇田美術館に来て本当に良かったと、うれしさをかみしめていた。今まで理解できずにいた脇田和画伯の絵画を読み解くことができた歓びであった。そのうえ美術館に置くほどの質が高い絵画を見ることができて、脇田和画伯の基準が分かってきた。その歓びを噛みしめていたのであった。これまで何度も訪問した美術館なのに、おかしなことであると思いながら、万平ホテルの裏手に回った。