四谷荒木町は勝手知ったる町だ。戦前は芸者が七百数十名もいた花街であった。近所に市谷駐屯地があったおかげで、軍隊御用達の花街となり、反社会勢力が入らない珍しい花街であった。
その時代に芸者さんだった女性が、まだ粋な飲み屋を開いていたころ、私は十数年間、この町で
酒を飲んでいた。オフィスが荒木町まで徒歩圏内であったからである。
荒木町には杉大門通りと車力門通りがあり、その間に、途中から路地ができている。これらの通りは人間一人がようやく歩ける細い抜け道があって、十数年も通うと、細道を詳しく知っていて、すいすいと歩いて最短距離で目的地にたどり着くことができた。
伊勢丹会館で恒例の忘年会が終わった後、私は丸ノ内線で二つ目の四谷三丁目駅で降りて、夜の荒木町に向かった。
信濃町から文京区春日へ移って16年になる。合間には何度も荒木町へ行っていたから16年ぶりではないのだが、この夜は初めて行く店であったので、電話で訊ねると、とんでもない教え方をされ、荒木町で道を迷うとは思わなかった。ついてしまえば、なんだここだったのか。ずいぶんと遠回りの道を教わったものだとあきれ返った。
お目当ての店は、日本ワインだけを飲ませてくれるお店だった。
日本ワインはいつどこで飲んでも旨いとは思わなかった。今年には関東地方にある某ワイン醸造所までクルマで行って、一本5000円もするワインを買ってきて飲んだが、ブドウジュースのようなものでまったく旨くなかった。どこかで金賞を取ったワインだと宣伝をしていたものの、何しろ樽に入れたら3ケ月ほどで瓶詰めして出してしまうので、いわば、日本では毎年大騒ぎしているボージョレ―ヌーボーのようなものである。
絶対旨いと薦められたピノノアールと、軽めにつくられているが旨いと薦められたメルローを飲んだ。だが、私には水でたっぷりと薄めたブドウジュースとしか思えなかった。非常に残念だったのはピノノアールとメルローの違いが判らなかったことだ。フランスワインではブルゴーニュとボルドーの違いが明確にわかる。ピノノアールとメルローは味がまったく異なる。それが同じとしか感じられなかったことはあり得ない体験であった。この店の酒の管理が悪いのかどうかはわからない。結局、旨い日本ワインを飲もうとする目論見は失望に終わったのである。
しかし、お店の人に不快な念を与えてはいけないので、20分くらいは居て、それから店の壁にかけておいた薄手のダウンジャケットを着て イギリスのネットショップから買ったSAVILE ROWのマフラーを首に巻いて寒空の外へ出た。
昔に通った店はどうしたかと、荒木町を歩いた。毎夜のように通っていた和食料理店は、なかった。何軒かの店もなかった。
時間は万物を連れて流れていく。私も自分の足で歩いているものの、実は時間に乗って流れている。
荒木町も時間によって流されていた。存在していた記憶は過去の陰影にすぎず、存在そのものが錯覚であったかのように思えてきた。
この寂しさは、若い時にはなかったことだ。いまから思えば、若いころの寂しさは、対象があれば癒されていたものだ。しかし、いまを問えば・・・。
私は、日本ワイン店を探すのではなく、夜ごと荒木町で社員や友人と飲み歩いていたあの頃の自分を荒木町に探し求めに来たのかもしれない。自分の記憶が確かであったことを探して証明しようと思ってきたのかもしれない。
なぜか、ふと、詩人室生犀星の墓を思い出した。写真の墓は、軽井沢をこよなく愛した室生犀星が生前に旧軽井沢矢ヶ崎川沿いに建立した文学碑であり、夫妻の分骨墓である。
室生犀星の詩が好きで、全文集から抜粋した新潮文庫の室生犀星詩集をいつも手元に置いてある。クルマで軽井沢へ行くときは、必ず文学碑に寄って、碑に刻まれている室生犀星自らが選んだ詩「切なき思ひぞ知る」を読むことにしている。
手元の文庫本詩集には、若き頃から晩年、そして最晩年の詩集が福永武彦の手で選ばれて掲載されている。時折この詩集を広げては、これは、私の心境だと思う詩を、半ばにやにや笑いながら読み解いている。それによると、私の心境は室生犀星にとっての晩年作ではない。もちろん最晩年でもない。
室生犀星が自ら、「晩年」と名付けた詩を思い出した。短い詩なので諳んじている。この心境にはまだまだたどり着けない。オレはまだ若い!と思いながら「晩年」そして若き頃の「逢いてきし夜は」を口ずさんだ。
晩年 室生犀星
僕は君を呼び入れ
今まで何処にいたかを聴いたが
君は微笑み足を出してみせた
足はくろずんだ杭同様
なまめかしい様子もなかった
僕も足を引き摺り出して見せ
もはや人の美を持たないことを白状した
二人は互いの足を見ながら抱擁も
何もしないでふくれっつらで
あばらやから雨あしを眺めた
若き頃の詩集 青き魚を釣る人より
逢いて来し夜は 室生犀星
うれしきことを思ひて
ひとりねる夜はかぎりなきさひわいの波をさまり
小さくうれしさうなるわれのいとしさよ
やがてまた
うれしさを祈りに乗せて
君がねむれる家におくらむ
芸術は、空腹を癒してはくれないが、思いもかけず弱りそうな人の精神に手を差し伸べる力がある。室生犀星は、私生児で生まれ、幼児のころに寺に預けられて育った自分の過去を蔑み、卑屈な劣等感に悩まされながらもまだ経過していない未来の時間に希望を掛けて生きてきた。人生はいまを生きるしかない。過去は流され、未来は自分の前に現れていない。
思い返せばすべての出来事は一瞬である。生まれることも死ぬことも、愛が生じることも、別れが生じることも、進路が決定することも、進路が破壊されることも、成功することも、失敗することも、すべてが一瞬である。万物は一瞬にしか生きられない。その訳は、人間が時間的な存在であるからだ。すべてが一瞬で決まるのは、人間は一瞬と名付けられた時間でしか生きられない存在であるからである。
久しぶりの四谷荒木町を歩いて、最後にあの旨いラーメン屋で空腹を癒そうと思ったが、店は閉じていた。
散る花を追うことなかれ。出る月を待つべしだ。これがセンチメンタルな気分で荒木町を歩いた一瞬(ひととき)に私の脳内で生まれた出来事である。