寝室にあった安徳瑛さんの絵をオフィスに移した。二つを並べた。
安徳さんは空間的存在である絵画に、一瞬の時間(Time Stop)を描いた哲学者である。
ミックスドメディア(混合技法)で描いたこの絵は、安徳さんが追い求めていた自らの最終到達点であった。夭折しなければ一体どこにたどり着いたことだろうと思う。
私は、安徳瑛論を引き下げて、彼をこよなく愛した画廊の亭主と議論を吹きかけたが、まったく理解せずに、粗末な持論を繰り返し語っていてうんざりしたことがある。
安徳さんは、人間の存在を時間論と空間論から攻めて、人間は時間に流されていく弱き存在である。しかし、人間は時間の一瞬を活き活きと生きることができると開悟した。死を感じ取っていたからこそ生を見つめていたのだろう。
これらは安徳さんの絵を毎日眺めていれば感じ取れることである。
画面の中で生き続けている少女は、風の音に耳をふさいである。背景の木々や家々は吹く風にさらされている。突然に風がやんだ。時間は白色で表現している。しかし時間は流れていない。時間はストップしている。次の瞬間をこの絵は引き出してくれる。
それに重要なことは、安徳さんの絵には私欲が感じないことである。自分を売り込もうとか、旨く見せようとか、そんなものはない。貧困を極めた中村忠二さんが、私欲を感じない絵を描くが、安徳さんが描いた絵は同じようにさわやかさが抜きんでている。
深澤孝哉さんの絵を、安徳瑛さんの絵と並べてみたが遜色はまったくなかった。
その横に進藤蕃さんの絵を置くと、この絵が売り絵であることが歴然とする。
進藤蕃さんは、カラリストである。東京芸大の油彩科を首席で卒業し、大橋賞を受賞している。
一時期、彼の絵を追いかけたことがある。画集を買い求め、実際に力作を何度も見ている。
力がある画家であることは言うまでもなく、人気作家の一人でもある。
だが、この絵は、注文に応じて速攻で描いた売れる絵であり、かつ、売り絵である。カラリストとしての魅力は十分に持ち備えているものの大きな美術イベントの出品作と比較すると、格差に驚く。
今日は午前中、そんなことを考えながら深町純の中島みゆきを聴き、時間を過ごした。
13時~19時まで、原稿執筆に集中する。