この月を何度仰ぎ見たことだろうか。欠けても満ちてきて満月になり、また欠けていく。この繰り返しが、太古から今日まで連綿として続いている。
琉球、八重山の人たちは、月を見れば、あの時の月齢に戻っているけれど、変わったまま戻らないのは人の心と唄った。
とぅばらーまは、八重山民謡最高の叙情歌である。
曲は一つしかないが、百人が集まれば百曲のとぅばらーまがそこにある。人々は男女の情愛をとぅばらーまのメロディに載せてきめ細かく唄う。
私がそんなとぅばらーまを知ったのは23歳のころである。凡庸な学生生活が終わってビジネスの社会に入った。出会うもの一つひとつが新鮮で目が奪われる毎日であった。その中で出会った曲がとぅばらーまであり、この歌詞であった。
その時、確かに一人の画家がいた。私の記憶では、画家の鶴岡政男と一緒であった。画家は23歳の私にとっては仰ぎ見るような人であった。鶴岡さんとは、何度か新宿2丁目にお供をしたが、はじめの画家とは共にしたことがなかった。その画家と再会したのは19年後である。その時は40歳を過ぎたこともあり、遊びで引けを取ることはなかった。中庸中道を歩む、と言って画風は時に怒りをにじませた怖い絵を描いたその画家とは、長く続いたが何らかの理由があって離れた。
そして再再度、出会うことになる。
それから、画家が逝くまでの期間、時間を共有した。
昨夜の月を見て、自宅に置いたままの画家の絵を寝室の床の間に掛けようと思い立った。
この月は、時間を切り取っているから欠けも満ちもないのだが満ち欠けが起きそうである。
振り返ると、私は、78歳を超え、ずいぶんと濃密な人生を過ごしたものだと思うようになった。
この月を、床の間に掛けてから、私はとぅばまーらの一曲を口ずさんだ。
うむてぃかゆらば しんりんいちり またんむどぅらばむとぅぬしんり
思て通らば千里も一里 またも戻らばもとの千里