その時、専務からビデオを営業に取り入れようとアイディアが出ました。私は、「シナリオが必要ですね。何かとお金がかかりそうですね」と、軽はずみな発言をしてしまいました。
すると専務は、「シナリオなんて一切要らない。プロに頼む必要もない。うちの製品を使って喜んでくれるお客様の感動を撮ればいいんだ。きれいなカラー印刷はいらない。ビデオのガリ版印刷をつくれ。問題は中身だ。新聞の号外を知っているだろう。号外を配ればみなは我先にもらって読もうとするだろう。ビデオの号外をつくればいいのだ」というわけです。ビデオといってもいまのビデオではありません。SONYのβマックスという初期のビデオテープを使ったビデオです。
すべて社内制作、担当は兼務で一人。カメラマンは学生アルバイト。ライトは顧客企業を担当する営業員で制作が始まりました。
担当した営業企画の山田君が適任でした。彼は一流の営業で、企画部に配属された優秀な人です。なによりも聴き上手、訊き上手で、独自の話法でインタビューをして顧客の感動を見事に引き出しました。撮影した画像の編集、テロップ、拠点へ送るためのダビングを山田君がひとりでやりました。
ビデオ作戦は大ヒットしました。拠点にビデオデッキが配られ、営業は顧客にアプローチブックで論理的な説明をして、次に顧客先のテレビを拝借して使用ユーザーの感動の声が詰まったビデオを何本か見てもらうコンサルティング営業の型が定着しました。
営業員からは、私の顧客を撮影してくれと注文が殺到しました。なぜなら顧客が真剣になって見てくれるからです。そして顧客の心が動いて製品を買ってくれるからです。
そのうえ、設備を購入した顧客が、ビデオで見た同じ歓びを表現してくれるからです。
営業員にとって、これほどの歓びはありません。自分が販売した製品を使って、得ることができた自らの歓びを、心から伝えてくれるからです。
ビデオテープをビジネスに使えないかという動きと挑戦は、当時のトレンドでした。そのトップを走っていたのがSONYです。SONYはビジネスビデオコンファレンスを立ち上げビジネスビデオを啓蒙していました。
私たちが制作していた一連のビジネスビデオがSONYのβであったことも一つの理由ですが、SONYが当時進めていた『ビデオをビジネスで活用させよう』とする方針とマッチしたために、大変な支援を受けました。そして素人が作ったビデオがSONYのビジネスビデオコンファレンス応募作品中、大手広告代理店が制作する大企業のビジネスビデオ作品を抑えて、三年連続してグランプリを獲得しました。四年目に、他社にもグランプリ賞を与えないとまずいのではないかという意見が出て、山田君は審査員に引き上げられてしまいました。
その後、インタビューによる顧客感動引き出しムービーは、それまでなかったPRムービーの一ジャンルとしてポジションを築き上げました。洗剤や健康食品などで愛用者のインタビュームービーのはしりをつくったのは、私たちとSONYの支援の賜物でしたが、良いものであったからこそ、一人歩きをしたのだと思います。
四〇歳で、売上アップを実現するマーケティングコンサルティング事務所を設立した私は、一貫して顧客に関係するコンサルティング業務を展開しています。そしてアプローチブックとビジネスビデオをつくって売上を伸ばした経験は三〇年余後に、いまのiPadにそのままつながっていきます。