誰に見捨てられるのでしょうか。
お客様と、営業員と、企業にです。見るのは顧客です。顧客が見たくなければ、iPadコンテンツは見ません。関心がないコンテンツを、顧客は見ません。見るためには時間を割かなければいけないからです。関心の無いコンテンツを顧客が見るには苦痛が伴います。
初回は見ます。顧客も関心があるからです。こんなものだと分かったら興味は半減します。だから二回目にiPadを顧客の前に広げると、もう分かったからいいと言われてしまいます。
顧客が見なければ、営業員はiPadを顧客の前に出しません。顧客が嫌がることをしたくないからです。営業が使わなければ、効果は上がりようがないですから、ムダであったと思われます。そこで企業からも見捨てられることになります。
このことは実は深刻な課題です。いち早く取り入れた製薬会社では次の現象が起きています。導入したてた当時は、ドクターも関心を持ってみてくれますが、二度三度となると、見てもらうことは簡単なことではありません。もういい。仕舞ってくれと言われれば、それでおしまいです。
なぜそんなことが起こるでしょう。iPadで見せることだけを考えているからです。ある会社は見せたい資料を集めたら3000にもなったそうです。これを全部iPadに入れました。PDFにして、iPad上の書棚、ibooksに保管したのです。3000データのどれを、どう見せたら、一体どうなるのでしょうか。そのデータをどう選択するのでしょうか。どう探し出せばよいのでしょうか。顧客はじっと待っていてくれるのでしょうか。
いま、日本でいち早くiPadに着目している製薬業界でも、提案する企業のレベルは、『見せる』ことに特化した発想しか持っていないことが現実です。
それではiPadはビジネスに使えない?とんでもない。営業の第二脳としてiPadを制した企業が営業活動を制します。
ただいまの状況は、見せることしか考えていないということです。カタログならあとでご覧くださいと手渡せばそれで役目は果たせますが、iPadのコンテンツはそうはいきません。見せることには間違いないのですが、顧客が見ないもの、見続けないもの、見たくないもの、関心のないものは、見ないことになります。見なければ営業員はiPadを出しません……という悪循環が始まります。
(これから何号かは否定的なタイトルが続きますが、私の中では消去法を展開しているつもりです。消し去って最後に残ったもの、そこにiPadという宝物は光り輝いています)