我が庭は、若葉が満開である。やぶ椿は完璧に落下した。奥のハナミズキも、枝の頂上に白い花びらを見せたが、もう咲いていない。
中央左の茶色いプランタンに生えているのは3本の柿の木だ。食した柿の実を植えて、今年で4年目になる。いつかは実が成ると期待しているけど、わからない。
右手奥のつつじは、まだ咲かない。手前のサツキもまだ咲かない。
時折狂ったように咲き乱れるのだけど、今年のご機嫌は、悪いようだ。
今日は、てっきり金曜日と思い込んでいたが、木曜日であった。一日分を得をした気分になった。今日、これからの作業で一つの仕事が終わり、来週から新しい仕事を迎える。
僕は、新鮮な遊び方を覚えた。
親しい友人が年4回、我がオフィスに遊びに来る。毎回、テーマを決めて議論する。次は5月の第二週だ。
次回のテーマは、美についてである。 友人は真善美から美を語りたいと事前通告をしてきている。
もう一つある。自分が好きな詩を一編、持ち寄ってその詩の思い出と、美しさを語り合おうというものだ。
友人は、5月に75歳になる。
90歳を遥かにこえた母親の、認知症の世話で、ほとんど毎日、故郷にある母の家に泊まり込んで介護をしている。
そんな友に、私は提案した。それが、ここで書いた新しい遊び方なのである。
友は年に四回、季節の変わり目に、我がオフィスを訪ねくると、はじめにこの庭に目を落とし、時間が動いていることを感じながら。静かに鑑賞している。
僕は、一つの詩を決めている。友人のために選んだ三好達治の「乳母車」だ。
友人は、今は認知症の母を介護しているけれど、この詩の主人公は、乳母車に乗る乳児だ。
僕は、友人に、乳母車に乗って母に押してもらっている頃を、そのころのことを深く思いだして欲しいのである。
詩集 測量船より
乳母車 三好達治
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
々と私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道