私はブログを日本だけでなく海外に住むたくさんの知友に、近況便りのつもりで書いている。そんな知友たちから軽井沢の知友とは一体誰なんだと問い合わせがいくつもある。そこで今日のブログで一人だけ紹介をしようと思った。選挙日前の土曜日、私は三人の知友と会うために軽井沢へ出かけた。朝9時に家をでれば11時には到着できる。それでも私は余裕を持って12時半に軽井沢のシェ草間でランチを食べる約束をした。
ところが外環状で軽自動車による玉突き追突が発生していた。クルマは動かなかった。いつもは20分で通り抜けられる大泉ジャンクションまでなんと1時間半も掛かったのだ。事故現場は2車線を1車線にして若い女性が警察官から事情を聞かれていた。前の車は1ボックスで誕生間もない赤ん坊と三歳くらいのお姉ちゃんが33度の気温にぐったりしながら楽しみのドライブをそがれてしまい、かわいそうに呆然と立ち尽くしていた。事故車先頭も後部を追突されて若いファミリーが困惑していた。最初に追突した張本人の女性は悪気があってやったのではないという態度で応対しているのが走り抜ける私たちの目にも映って取れた。これほどまで観察できるほどにクルマは事故現場をゆるゆると走っていたのである。ようやく関越に入ったら次は鶴ヶ島から嵐山小川町まで事故渋滞であった。鶴ヶ島から嵐山小川町まで19キロ渋滞と出ている。しばらく進むと藤岡ジャンクションまで100分と案内板が出ていた。もはや12時半にはたどり着けないことは確実だ。普段乗りなれていない人たちが週末割引をして遠くに行こうと試みる。しかし集中して運転しないから追突をする。ここは我慢をするしかない。怒りは自分に跳ね返ってくるだけだ。
ようやく藤岡ジャンクションから上信越道路に入るとみな90キロ以下の団子で走っている。目を凝らすと遠く列の先頭は緊急車両ではないか。普段乗りなれていない人は緊急車両を抜く術を知らない。緊急車両は100キロ未満で走っている。これを抜くには105キロくらいで徐々に引き離していくのだ。そしてカーブで引き離す。その連続で団子グループから離れていくしかないのだ。マラソンと同じ手法なのである。週末ドライバーはそんなことも分からず困ったものだ。
まずは先頭に立って緊急車両と並ばなければいけない。そこでシフトをスポーツモードに変えて縫うようにすり抜けて先頭に並ぶと、件の術で団子状態から飛び出すことに成功した。それでもいつもは自宅から2時間は掛からない時間を倍の4時間も掛かってようやくシェ草間にたどり着いたのである。
この知友とは久しぶりに会ったのでいろいろと積もる話があった。年齢を数えると親子以上の開きだが私は誰でも対等関係を保つ。彼女は軽井沢を心底から好きで愛している人である。カメラを向けると構えてしまうので硬いねというと ぷんぷんとした様子を見せたがそれでも表情が硬いよと言って笑わせた。
彼女は写真写りが悪いのでと言っていたが確かにその通りであった。この人の写真はどれを見ても良く写っていないのである。構えてしまうからなのだ。もう少し時間があれば私は彼女にとって最高の写真を撮ることができる。それでも私はスナップで撮影したこの三枚の写真が彼女にとってはいままでで一番良い写真ではないかと思っている。
このブログの内容にしたのはもう一つ訳がある。
前日、私は老人とは何かを仕事先で議論した。外観は時間疲労をしているけれど、心の中は若者であると私は言った。若い人たちは、目で見えるものだけでイメージするのでシルバー向けの雑誌に、いかにも老人くさい企画をする。私はある百貨店の話をした。30代のキャリア女性をターゲットにした洋服売り場で実際に買っている層は50代が圧倒的に多いのだと。私は来年1月で67歳になるけれどやっていることは30代と何一つ変わらない。それがシルバーと言われている人たちの真実だと話をした。それでも分からなかった若い人たちのために私はこのブログを書くことにした。
食事は一時間ほどで終わり、私はシェ草間で彼女と別れて次の知友が待つ南が丘に向かった。こちらは15年の付き合いがあるペルシャ絨毯の博士のような人である。東京の一等地にペルシャ絨毯の店を手広く経営している。自分自身も百科事典のようなペルシャ絨毯の本を出版している.彼は離れ山に別荘を持っていて、夏の間中、たくさんのペルシャ絨毯を持って軽井沢へ移り、南が丘にある豪華な能楽堂を借り切って展示販売をしながら別荘で暮らしている。彼は軽井沢でも良い顧客層を持っているといった。これは高級画廊経営者が行っている経営手法である。顧客層が夏は軽井沢へ移ってしまうから自分も軽井沢へ出かけて、軽井沢の人脈を紹介していただき、顧客を増やしていくのである。
彼から、「軽井沢で絨毯の展示会をやって博物館にあるような美術価値の高いクラシック絨毯も出しているから遊びに来てよ」と連絡が入っていた。私は夫妻としばらくペルシャ絨毯談義を交わした。といっても私がペルシャ絨毯を愛で、彼等が専門的な説明をするだけの会話であるのだが。
次に私からの電話を待っている南原の知友に電話をして然林庵で待ち合わせをした。彼とはいくつかの打ち合わせがあった。それから丸山コーヒーに寄って好きなコーヒーを500グラムほど購入した。丸山さんはコーヒーをプレスで、まるで紅茶のように淹れることを薦めている。それほどに自信がある豆を自分の目で確かめて販売しているのだ。
軽井沢は夏休み最後の週末で、しかも翌日は選挙とあって18号もバイパスも大渋滞をしていた。まだ8月とはいえ、もう夕日が落ちるのは早く、5時半にはあたりは暗くなっていた。天気予想とおりに雨が降り出し視界は悪くなった。知友と別れてからすっかり暗くなった裏道を抜けて私は帰路に向かった。チェットベーカーのトランペットを大音響で聴きながら暗い道をひたすら走り抜けた。CDにセッテンバーソングが入っていた。もう9月だなあと思いながらハンドルを握った。