雨は降っているが1時間1ミリ程度だ。でもレンズにも雨は落ちて画面を白濁させる。この日大紅葉を移植するので見に来ませんかという連絡を受けてクルマを走らせたのであった。碓氷峠は霧の名所である。関東平野から熱を持った空気が北上し碓氷峠で上昇し温度が下がって霧に変わる。下仁田も佐久も晴れているが軽井沢は霧のなかにあるということも普通だ。この程度の霧なら視覚が残るから別に運転に心配はないのだが一寸先が見えない霧もある。
ここはジャムの沢屋が経営しているレストランこどうの裏庭。いかにも軽井沢らしい風景だ。雨はポツリと降ってはいるが、雨上がりの森はとても美しい。〈画面をクリックしてください)
晴れればこの椅子に座って森林浴を楽しむところ。この日知友とこどうで食事をした。
中央が移植を待っている大紅葉。この日、親方は移植を中断した。雨が降っていて危ないとする判断だ。
一昨年、この森にうすばしろちょうが乱舞していた。今年は気候が悪く、多くの幼虫は食草を失って絶えてしまったのではないかと心配をしている。今年は2~3月に春のような日が続いてそれから幾度も寒波に襲われた。うすばしろちょうの食草「ムラサキケマン」は寒さに弱い。幼虫に孵ってから幾度も雪が降ってケマン類は寒さで枯れた。だから幼虫には食するべき餌がない。
私は人に言ったらなんてつまらないことと言われそうなことに心を痛めている。この日は雨だからパルナシウス族は飛ばない。太陽が出ているときだけ飛んで身体を温める。
しばらく小雨降るこの森で佇んだ。わずか一週間でこの森は姿を変えましたねと知友は言った。
雨上がりの森はなぜこんなに美しいのか。それは湿度をふんだんに蓄えているからだと私は思った。湿気が森を活き活きとさせている。湿度こそが森に棲む生物の栄養素なのだ。
ふと軽井沢に住む女性の言葉を思い出した。私たちの肌は軽井沢の湿度で守られているのです。
そうなのだ!湿度こそが森に栄養素を作り供給し続ける泉のようなものだ。湿度が生き物を腐敗させて微生物に命を与える。微生物を求めて小動物が集まる。輪廻のスタートになるものが湿度なのだ。生きているものすべてに潤いを与え、死んだものを循環させる湿度こそが命の源泉なのだ。
軽井沢の知友の言葉を再度思い出した。
都会の人って湿度を嫌うけれど、私たちは軽井沢の霧が大好きです。私は東京に行くと肌がかさかさになって帰ってくるけれど、軽井沢の湿度がまた元の肌に戻してくれる。
親方は言った。来週また時間があったらお出でください。来週この樹を移植しますから。鈴木さんが言葉を足した。これほどの大紅葉はめったにありません。この木を移植できる人はそんなにいないです。感動的ですからぜひご覧になったほうがよいですよ。
もちろん参ります。私は快諾をした。こんな機会は都会に住んでいたら得ることができない。知友は早く軽井沢へ引っ越していらっしゃいと言った。もう少し時間が掛かる。ブレアコンサルティングはいつでも後継者に引き渡せるが、マジカルウエポン制作所は、これからの道を拓いて行かなければならない事業だ。世の中に存在していない事業なのだから。この道をつけたら私は軽井沢へ移る。知友にはあと2年半、東京での暮らしが残っていますねと答えた。
森を振り向くと大紅葉が佇んでいる。来週にはこの場所から掘り出されて別の場所へ移植させる。これほどの紅葉を育んだ森の力は湿度によって支えられているのだ。私はこの日、これまで湿度を人間の敵であるかのように思っていたことが大きな誤りだと気付かされた。うれしいことを発見した一日でも会った。