長女からCDを借りて聴いた。彼女は音楽が大好きで、また亭主も無類の音楽好きときているから、このファミリーは音楽一家である。その家族からCDを借りたのでうまい歌い手のCDがたくさんあった。
また、知人のJAZZピアニストホキ徳田からもCDを貰っている。これらは古いジャズでLPをCDに移植したものだろう。
私も音楽は大好きで、43年生まれの私は1960年は17歳であったからまさに60年代の音楽から欧米の歌と接している。なにしろE・プレスリーがトラックの運転手でハートブレイクホテルが全米でヒットしているらしいなんて言うラジオからの話を覚えているわけで、ジェームスディーン亡き後のエデンの東テーマ曲が毎週ヒットチャート一番で、この座をどれほどの期間守ったのかなんて言うことも覚えている。
さて、欧米の日本でCDが発売されるほどの歌手は、とにかく歌が上手い。上手いが歴史的に一本筋が通っていてぶれていない。1960年の歌手も、2010年の歌手も同じ基準で評価できて上手いのだ。
長女のCDには、日本の歌手のものも何枚か含まれていた。日本では著名な、たった一人で会場を、ひょっとする武道館さえも満員にできるほど人気がある人たちだ。私はほとんど興味がなくて聞いたことがないので、試聴してみて唖然とした。あまりの落差に唖然とした。なんだこのレベル差は。
娘から借りた世界的な歌手、例えばホイットニーヒューストンとか、ホキからもらったCDに出てくる古い歌手、私が60年代から2012年まで聴いている欧米の歌手たち。この人たちの体は楽器のようだが、私が聴いた日本の歌手たちの歌は、のどから声を絞り出しているとしか聴こえない。
日本でも、60年代、70年代はうまい歌手が大勢いた。60年代のヒットメーカーは三橋美智也と春日八郎だった。聴く人は歌のうまさに票を入れた。
80年代になってうまい歌手の系統は崩れていったのだと思う。もちろんいまでもうまい歌手はいるのだが、人気の基準が歌がうまいことではなく別の基準が出来上がってしまった。
85年のおニャン子クラブあたりから変節していったのだと知友は言う。。
モーニング娘の一人がNYへボイストレーニングに出かけたテレビ番組を見た。先生は少し聴いただけで、歌をとめ、彼女がミリオンセラーって嘘だろう。私をからかいに来たのかと怒り出した。
SMAPが歌ってヒットした世界に一つだけの花を作詞作曲を手掛けた槇原敬之の歌で聴いて初めて詩の意味が分かり、いい曲だと思った。そのSMAPの人気は歌がうまいわけでもなく、ある人は誰もが知っているように音程が安定しない。俗にいう音痴である。踊りがうまいわけでもなく、ぐるりと回って指ぱっちんと変わりはない。踊りのプロと比較すればその落差は一目瞭然だ。それでも高い人気を誇っている。彼らはものすごく良い子なのである。40歳になってよい子もないもんだが、このぶりっ子良い子に人気が出る。
話は変わる。
バッハは1685年生まれである。日本史では1600年が関ヶ原の戦いで、バッハが生まれた1685年は生類憐みの令を五代将軍綱吉が発令した年である。江戸初期の音楽は三味線、琴などで、異種の楽器を組み合わせて使うことはなかった。この時代に、歌と言えば浄瑠璃であった。だから西洋音楽を日本で論じるのは50年前にベンツと国産車を論じるようなものなのかもしれない
日本人には声を絞り上げるようなDNAが引き継がれているのかどうかも知らない。世界の中の世界一と、日本の中での世界一とはまったく異なることも知っている。
それにつけてもいまの若い人たちは不幸だと思う。どの歌い方がうまいのかも知らないでアイドルとしての歌い手を追いかけているのだから。本物を知らない人は不幸である。良し悪しの基準を持たないからである。
AKBのファンがたくさんのCDを買い、CDはごみ箱に捨てて人気投票券を入手している姿を見ると、AKBのビジネスモデルはキャバレーの指名制度か、むかし流行った買春旅行と同じだと思う。さらには吉原モデルと違わないと思う。秋葉原のAKB小屋があってここに出場しているAKBのメンバーと握手をするにはCDに封入されている握手券を買う。ファンは握手がしたくてではなく、けなげに歌を歌い年に一度は人気投票で振り落される舞台に上っているアイドルを応援したくて入れ込む。
歌手は歌がうまくなければならない。それが原理原則である。
音楽界はいつでもぶれない基準を持たなければいけない。歌手は基準に沿って上達しなければならない。そうしないと歌手もファンも文化も育っていかないのだ。その上に踊りがうまいとか、トークがうまいとかの技術を載せて味わいを深めていくことが知恵である。
何でこんなことを書いたのかというと、数日前SMAPのコンサートから引き上げる大群衆と後楽園駅で合流したからだ。私は友に日本はどこで音楽文化が狂ってしまったのだろうと言った。
文化など考えるのではなく、どうすればたくさん売れるのかと考えた人の手に国民が乗ってしまったのではないかと友は言った。85年のおニャン子クラブ辺りではないかと付け加えた。
人気の基準が歌のうまさからアイドル度に変わってしまった日本。日本は島国だから独自の熟成を行う。世界的な歌手の歌を聴くと、何度聴いてもうまいなあと思う。私たち世代はうまい歌を知っている。知らないで育った人たちはどこに向かうのだろう。
また話は変わる。
英国人はフランス人からお前らはうまい食べ物を知らないで不幸だなと言われる。英国人は言い返す。お前らはうまい食べ物を知ってしまって不幸だなあって。
アイドルに入れ込むファンは幸福なのか不幸なのかを考えてしまう。