人間が誕生するには一組の男女、卵子と精子の結合(受精)が必要となる。この男女を両親として表現する。私が生まれるために必要な一組の両親。私の一代先の先祖は2人である。両親にはそれぞれ両親がいるから二代先の先祖は4人となる。この計算で遡っていく。
この公式はこうなる。(カッコ内の単位は人である)
(2人)+(4)+(8)+(16)+(32)+(64)+(128)+256)+(512)+(1024)+(2048)+(4096)+(8192)+(16384)+(32768)+(65536)+(131072)+(262144)+(524288)+(1048576)+(2097152)+(4196304)+(8388608)+(16777216)+(33554432)+(67108864)+(134217728)+(268435456)+(536870912)+(107374000)=11億8111万7800人
私がいま生きているうえで絶対必要だった人間は、30世代を遡って11億8112万人がいる。ついでに35世代前まで計
算をしてみた。31世代前は23億6224万人、32世代前は47憶2448万人、33世代前は94憶4896万人、34世代前は188億9792万人、35世代前
は377億9584万人。以降、倍倍に増えていく。いままで地球に生きた人間の総数ではない。あなたの、私の、いま生きているたった一人の先祖数なのだ。
一世代は25年と換算すると875年前。西暦2013年―875年=西暦1228年。鎌倉時代だ。道元が曹洞宗を開いた翌年になる。
人類は一人の男女から生まれたという説や、人類みな兄弟という説がやたらに真実味を帯びてくる。
葬式宗教家はこういう。誰か一人欠けてもあなたは存在しなかった。あなたがいまここに居るのは累々と続いたご先祖様のおかげ。ご先祖様を大切にしなければいけません。
逆算の方は科学的に進んでいて、ミトコンドリア・イブなどで調べると面白い。
さて、上の計算に戻ろう。私が知る先祖は、両親と母方の母だけである。あとの祖父母を私は知らない。私にとって知る先祖は2代先までである。
葬式宗教家が自らの正当性を通すために、この計算式を持ち込むのは見当違いだ。親孝行の教えは儒教であって仏教ではない。
仏教伝来から日本では、仏教が時の権力者によって利用され、また宗教も乗じて政治を利用した。以降、宗教の歴史は釈迦の思想を離れ、教団が無知の人間を食い物にする道具となった。
室町時代に葬儀と仏教が絡み付き、葬式仏教が生まれた。江戸幕府はキリシタンを恐れ国民をみな仏教徒にし、寺が集落人の死を掌った。明治に廃仏毀釈運動が起こり、僧侶はこれまで奉った仏像を燃やした風呂に入った。アリガタヤと念仏を唱えて入った。いまは撮影禁止とか、秘仏とか言っている。教団などいい加減なものである。
先日、葬儀に参列した。坊さんは,読経のあと参列者に2つの話をした。一つは、いま死者が三途の川を渡っているという話。三途の川を渡ったらこの世には戻れない。死者は閻魔大王の裁きを受けるのだというおまけがついていた。二つは先祖がいかに大事な存在か。先祖のたった一人が欠けていればあなたはこの世に存在していなかった。だから先祖を大事にしなければならないという話である。私は聴いていて友人の死が汚されるような気がして怒りが収まらなかった。
日本では死んだら全員が仏様になれるはずだ。戒名とは仏の名前である。なぜ仏が閻魔さまの裁きを受けて地獄に落ちるのか。
いったい何をすれば大事にできるのだろう。教団にお金を払うと大事にできるのか。35代前に遡って377億9584万人の死者を大事にできるどれほどの力を持っているのか、教団はこのように大事にしたら死者はこのように大事にされたと証拠を示したらよいと怒った。
親孝行はすればよい。祖父母も祖祖父母も生きてるなら大事にすればよい。子供も孫も大事にすればよい。そこまでだ。人間は一代で終わる。生まれて、生きて、死んでお終い。死んでしまった先祖を大事にするなど、人間の誰もできやしない。お経をあげれば先祖がお釈迦様の近くに席が移るのだというのは真っ赤なウソ。現代の葬式仏教は岐路に立たされている。