かつて約20年間勤務していた会社から電話が入った。「相談役が逝去した。お別れの会をやるので式典に参列して欲しい」との内容であった。
私は、25歳の時に労組の委員長に立候補し、労組委員長として10年間、この企業と、この人と向き合ってきた。人が死ぬと誰もが美化して語るものだが、いま思うに、亡き人は静かで求道的で誠実な人であったと思う。いくつかの経営危機があったが、逃げずに向き合って活路を開いていった。そんな場面を見てきた。私が退社した後も同様であった。これらの言葉は決して美化して語るものではなく、亡き人が生きた歩みへの讃辞である。
血糖値が上がり始めてから毎日6キロメートルを晴雨に関係なく歩き続けていたことも、命が惜しいからではなく自らの責任感が行わせたことであると思う。
お別れの会に用意されたアジェンダには「苦難は必ず活路を伴っている。逃げずに向き合えば道は開ける」と標されていた。個人が経験をして得た人生の知恵は、あとに続く者への道標になることであろう。
東京プリンスホテルの式典場では、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を静かに流していた。パヴァーヌは16世紀にヨーロッパで流行った行列舞踏のこと。踊りの様式であって音楽の様式ではない。若くして亡くなった王女のために貴族たちが何人かの列を組んで王女を偲んだ踊りの風景である。
葬送曲やミサのように宗教色がなく、とても美しい曲だ。作曲者のラヴェルが認知症になってから、自分の曲を聴いて誰の曲だ、美しい曲だと漏らした逸話が残されている。
この日は故人とゆかりある人たちが一堂に集まった。まるで同窓会のようであった。私もたくさんの懐かしい人との再会があった。二度と会う機会がないだろう人たちもたくさんいた。
人生は出逢いと別れでつくられている。出逢いと別れを繰り返しながら人は前に進んでいく。逃げたらだめだ。逃げずに向き合えば必ず活路は開けてくる。