知友が手に古陶器が入った袋を下げてオフイスに訪ねてきてくれた。
知友は日本で三本の指に入る東南アジアの古陶器コレクターだ。
ナンバーワンと言われた木内宗久氏が全収集品260余点を町田市立博物館に寄贈したので、ひょっとすると知友が日本で一番のコレクターかもしれない。
その収集量たるや驚くばかりで瀟洒な自邸は古陶器の倉庫と化し、タイに2フロアーを借りて1フロアーは倉庫にしているという状況である。
知友の父と、私は奇妙な縁でつながっていてこんなこともあるのかと思うほどだ。
何しろ22歳の時に出会って途中2回の離別があったが最後は死に近づく病床で、手を握り締めて励ます関係にあった。
知友の父に出会ったおかげで私の父方先祖が松平島原藩の武士であることが判明した。縁深き家族である。
子息の父の死を介して出会ったが、一気に親しくなった。それは私が以上の経歴を持っているからである。
知友が持ってきてくれたのはスコタイ朝(14世紀)からアユタヤ朝(15世紀)につくられた鉄絵草花文案茶碗である。
鉄絵とは鉄分を多く含んだ水を筆に浸して直接描き上げる絵のこと。
14世紀は安土桃山時代だ。この時代にこの茶碗が日本に入り茶道具の茶碗として使用されていたという資料が日本に残っている。
この茶碗も博物館に入るレベルの品である。この日は途中ランチを挟んで3時間半も対話をして楽しいひとときを過ごした。
写真を見るとラーメンが入るような大型の丼を想起するけれど実際は茶の椀である。おおらかで屈託がなくていい茶碗だ。
ほうれんそうのお浸しが似合いそうな茶碗だ。かぼちゃの煮物もいいかもしれない。心を遊ばせながらそんなことを思っていた。
知友は、「私のコレクションはタイ国民のものだ。全部をタイに戻す」といった。その計画を聴いた。私はそうすればお手持ちのたくさんの絵を飾れますよと返した。そして二人は腹から笑った。
知友の父は著名な画家であった。彼が語る父の話をいつの時代のことでも私は理解でき共感できた。父に関する芸術論も同じレベルで交わすことができた。良き友はこうして作られた。